日本現代中国学会ニューズレター
Newsletter of The Japan Association for Modern China Studies
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鹿児島国際大学不当解雇事件       事務局短信        
 

巻頭言☆

新潟大学での大会開催に向けて

第52回全国学術大会実行委員会委員長・新潟大学法学部 國谷知史

 

 今年の10月19日(土)と20日(日)の両日、第52回全国学術大会を新潟大学で開くこととなった。古町に近い旧制時代からの旭町キャンパスではなく、海沿いに西南へと少し下ったところにある五十嵐キャンパスの人文・法・経済棟が会場となる。繁華街とは無縁であるため落胆する向きもあろうが、3階以上の研究室からは60数キロ先に浮かぶ佐渡島が遠望される。「支那革命外史」を著した北一輝(明治16年生)の出た島である。運が良ければ(あるいは悪ければ)、「海は荒海、向こうは佐渡よ♪♪♪」の気分を満喫することもできる。もう一人、新潟県出身の中国関係者を挙げるならば、「大漢和辞典」を編纂した諸橋轍次博士を忘れることはできない。大学から少し(車で90分)離れた下田村に「漢学の里」(諸橋轍次記念館)があり、庭に孫悟空、沙悟浄、猪八戒を従えた三蔵法師の像があって、そのまま一緒に西域へと旅立ちたくなる。

 

 さて、新潟大学は、「窓を開ければアジア大陸が見える」というわけでもないが、北東アジア(「環日本海」)研究の拠点として、日本海沿海諸国(地域)との交流を積極的に進めている。とりわけ中国との交流は重視しており、今年の3月には、北京大学との大学間交流協定を締結したところである。私の属する法学部でも、北京大学法学院・国際関係学院、清華大学人文社会科学学院と交流協定を締結し、常時、専任教員として北京大学法学院(1年おきに国際関係学院)と対外漢語教学中心の先生に専門科目を担当して貰っている。

 

 そういうわけであるから、現代中国研究で歴史と実績のある日本現代中国学会の大会を新潟大学で開催するについては、大きな期待がある。折しも、日中国交回復30周年の節目の年である(そういえば、いま話題の田中真紀子の父親は田中角栄だった)。

 

ただ、祝賀ムードの一方で、瀋陽事件で増幅された中国脅威・中国不信を論じることが流行っている。新潟でも燕市や三条市などの金属加工業、十日町市や五泉市などの繊維産業は、中小企業が多く、地場産業が中国との競争に疲れ、中国の脅威を肌で感じているのは、大学に居てもよく分かる。また、日本海を越えてグローバリゼーションの波が押し寄せてくるとともに、中国人関連の事件が目に付くようになっているので、中国の印象があまり良いとは言えない。しかし、その一方で、企業や市民には、引っ越すわけにもいかない隣国同士の日中であるから、何とか共存・共生を図らなければならず、中国とは何なのか、どのように中国と付き合っていくべきなのか、という現実的な視点からの関心が強い。

 

したがって、今大会での共通論題「日中関係の新段階−摩擦から共生へ」は時宜を得たものであると言えよう。また、その共通論題が良かったのか、それとも新潟に地の利があったのか、自由論題報告希望者が30名を超えた。適正規模を考えて、何人かの人にはご辞退をお願いせざるを得なかったが、大会当日には、大勢の人が中国論の最高水準を示し、議論してくれるものと期待している。

 

最後に蛇足ながら、新潟が売り物にしている「日本海に沈む夕日」(および日本酒)には、議論に疲れた頭を癒す効能があることを付け加えておこう。

 

☆西日本部会春季研究集会☆

 西日本部会の春季研究集会が四月六日(土)午後一時半より九州大学六本松キャンパス・本館2F第二会議室にて開催された。当日の参加者は37名、会の終了後に懇親会をもち、研究会出席者の約半数が参加、歓談の機会をもった。

                                        1.華文文学国際会議(サンタバーバラ)についての報告

松岡純子(長崎県立大学)

 2002年3月26−27日、カリフォルニア大学サンタバーバラ校にて、台湾文学と世界華文文学をテーマに国際会議が開催された。同大学の世華文学研究中心 (杜国清教授) の主催によるもので、日本側からは華文文学研究会(科研共同研究「環太平洋圏における華文文学についての基礎的研究」<研究代表者:山田敬三教授>グループ)のメンバーが参加、アメリカ・カナダ・ロンドン・台湾からの研究者を含め総勢25名が参集した。第一日目は台湾文学についての発表が行われ、二日目に世界華文文学に関連する発表が行われたが、「世界華文文学」の定義・対象範囲・言語・作者・読者・作品世界(内容)等をめぐり、ここ20年来の異なる見解や理解のズレや可能性が指摘され活発な論議がかわされた。また「世界華文文学」の角度からの個別研究も報告された。発表者および発表題目は以下の通り。

 

柳書琴「台湾文学的辺縁戦闘:跨域左翼文学運動中的旅日作家」

林吟「台湾日據時代文学中的性別政治與文化認同:以呂赫若、龍瑛宗及翁閙的小説為例」江寶釵「日治時期台湾報紙期刊所反映的−漢詩書写形態之変遷」

陳明台「論戦前台湾新文学現代化的諸問題」

史然諾 Made in Taiwan:Marg-inalizede Voices within the Taiwanese Little Theatre Movement

蕭義玲「権力與叙述−従『殺夫』到『自伝の小説』」

陳建忠「部落文化重建與文学生産:以夏曼・藍波安為例談原住民文学発展」

池上貞子「王禎和和去愛荷華大学的前後−『香格里拉』與小津安二郎的電影」

金尚浩「痛苦的美学−陳千武和金光林的戦争傷痕詩之比較研究」

林鎮山「『雨夜花』紀事−鄭清文的<堂嫂>與契訶夫(A.Chekhov)的“ The Darling”」

山田敬三「華文文学的土壌−語言問題及其他」

甲斐勝二「華文文学−其理論和射程」

張翌瞳「関於世界華文文学作家・作品名単」

杜国清「台湾文学與世華文学」

楊暁文「論厳歌苓的小説創作−全球文学自覚意識下的新嘗試」

新谷秀明「曾焔和的越境経験」

松岡純子「許地山初期作品中的“異域”和南洋行」

瀬戸宏「文明戯(中国早期話劇)研究史的幾個問題−以袁国興和黄愛華最近成績為中心」

 

2.二二八事件五五周年を迎えた台湾

横地剛(九州大学講師)

 台北市二二八記念館で<正義的證言―『二二八』中族羣(エスニック)互助的史実特展>が開催された。会期は二ヶ月半(2月27日〜5月15日)の長期にわたる。神奈川県立近代美術館所蔵の版画作品十四点も展示された。内山嘉吉氏が寄贈した<第二回全国木刻展> (1947年11月於上海) 作品の中から台湾と台湾民衆を描いた作品が選ばれた。黄栄燦作<恐怖的検査―台湾二二八事件>もその一つである。黄は重慶出身の版画家。1945年12月に来台,美術,演劇,歌謡,新聞雑誌編集など広く文化界で活躍,両岸の交流に努めた。事件に際しては,いち早く作品を上海で発表,事件の真相を大陸に伝えた。1951年末逮捕,翌年11月に白色テロの犠牲となった。<特別展>では彼の業績に注目が集まり,会場で講演会,シンポジュームに加え,拙書『南天の虹』出版記念会も開催された。

 

 1990年,犠牲者追悼の公式行事が認められ,1995年,政府が謝罪。その年記念碑落成,翌年に記念公園,1997年に記念館が開館した。この間,事件を「省籍矛盾」と捉え,「台湾意識」が強調され,記念館もこの線に沿って過去五年間行事を進めてきた。しかし今回の<特別展>は趣を異にしている。<1945年〜49年の光復直後史>の再検討がその背景にある。民主化と両岸交流の進展が新資料の発掘を可能にし,研究の発展を促している。二二八事件に集約されてきた直後史研究は徐々に点から面に拡大され,その結果,憲政期に於ける中国民主運動と台湾における民主運動との関連究明に力点が移っている。特に若い研究家たちにこの傾向が目立つ。また争点も明確になってきた。陳芳明著「台湾新文学史」と両岸研究者共著の『台湾新文学思潮史』は際だった対比を見せている。

 

3.中国共産党12期中央委員の定量的分析

小竹一彰(久留米大学)

 報告者が昨年末に出版した『中国共産党重要人物名簿――最新データファイル――』(長城書店、2002年12月)という工具書に収録したデータにもとづき、中国共産党第12回大会(1982年9月)で選任された中央委員210名と候補中央委員138名、および中国共産党全国代表会議(1985年9月)で選任された中央委員211名と候補中央委員134名を対象にしたケーススタディーを発表した。

 

 そのなかで、12期中央委員集団の特徴として、次の諸点を指摘した。(1)平時にもかかわらず全体として60%を越える新旧交代が実施された。 (2)中央委員集団の本籍地分布が、これまでの内陸中心から沿海中心へ移行した。(3)中央委員集団の生年分布と入党年次分布はどちらでも、文化大革命期に抜擢された世代が排除され、革命と建設の経験の豊富な世代が中心になっていることを示している。(4)職歴から見ると、軍人の比率が毛沢東時代の約30%以上から20%台前半へ劇的に低下している。(5)中央委員集団における少数民族と女性の比率は、後者が常に優位を占めた文化大革命期の傾向から逆転し、少数民族の代表を優遇する姿勢が表れている。

 これらいずれも、「改革・開放」を掲げるケ小平時代への転換を表現していると考えられる。

 

 さらに、12期中央委員集団といっても1982年選任の集団と1985年選任のそれとの間の相違として、(1)後者で世代交代が促進されたこと、(2)後者における軍人の比率が20%未満まで低下したこと、の2点が特に顕著である。1987年に予定されていた共産党第13回大会を待たずに、これだけの人事異動を強行した不自然さが印象に残る。この問題はあらためて検討すべき課題ということになる。

 

4.中国自動車産業の課題

木幡伸二(福岡大学)

 中国の自動車産業は、戦前に小規模な修理業が存在したが、本格的な生産が開始されるのは建国後である。その発展過程は、第一汽車の設立を軸にした初期段階(1949年〜65年)、「三線建設」のもとで第二汽車等が作られた成長段階(66年〜80年)、海外からの資本、技術の導入による全面発展段階(81年以降)に分けられる。

 

 中国自動車産業の現状を見ると、以下のようなことが指摘できる。1994年の「汽車工業産業政策」公布により、自動車企業の陣容の形成、乗用車生産への重点の移動、生産集中度の高まりといった変化が見られる。技術導入では、製造技術から開発技術導入への重点の移行が見られ、部品分野の技術導入も活発化している。販売体制は専門ディーラー構築の過渡期にある。産業政策の公布は外資の中国参入に一定の役割を果たした。関税、非関税障壁による自動車産業の保護政策は徐々に緩和の方向にある。自動車の輸入は一時増えたがここ数年は減少傾向にあり、輸出の水準も低いままである。

 

 中国の自動車産業は、「民族産業」として育成するまでの間に外資との関係をどのようにするのか、世界の完成車メーカーが世界最適調達を強める中で中国の部品産業をどのように発展させるのか、国内市場の分断をいかにして解消してゆくのか、形成された企業グループの経営(統治)をどのように実質化させるのか等の課題が存在する。いずれも外資との関係抜きには語れない課題であるといえる。

2001年12月に達成された中国のWTO加盟は上記の課題をこれまで考えられてきたよりも短い時間で克服することを中国自動車産業界に迫っているといえるのである。

 

☆関東部会修士論文報告会☆

 関東部会恒例の修士論文報告会が四月二十日(土)に東京大学教養学部で開催された。約四十名の出席で活発な議論がたたかわされた。(所属は院生で統一)

 

1.王安憶作品にみる近代都市上海

中森志乃(東京大学大学院院生)

 王安憶は1954年生まれ、作家茹志鵑を母に持つ当代上海作家である。

 国文学者・前田愛は『都市空間の中の文学』において、都市について描かれた言説を手掛かりに都市を考える試みをした。つまり、都市が持つテクストを再記号化した言説はメタ・テクストであると考え、文学から都市論を構築した。筆者も本論において、こうしたアプローチ方法を用い、王安憶の作品を分析した。つまり、王安憶作品は上海のメタ・テクストであるという認識から、作中で彼女の上海に対する「認知地図(人が頭の中に描く地図)」がどのような広がりをもってきたかを考察し、そこから彼女の上海の文化に対するアンビバレンツや、危機意識を読み取ろうとしたのである。 

 

 主に用いたのは『長恨歌』(『鍾山』95年2,3,4期)『我愛比尓』(『収穫』96年1期)の二作である。前者の『長恨歌』は、解放直前往時の賑わいを取り戻した上海で社交界の華だった女性が、解放後上海の里弄でひっそりと年老い、80年代に無残な死を遂げるまでを描いた長篇小説である。そこからは、安易なオールド上海ノスタルジーに対する警鐘と、上海文化に対する危機意識を読み取ることができた。また、この作品の「認知地図」において、負の形象が上海の周縁部に設定されていることから、拡張し周縁化する上海に対する不安が描き出されていることを指摘した。

 

 後者の『我愛比尓』は、若手の画家である上海人女性・阿三が、西洋人男性と関係を持つことによって、自分自身の中の「近代(ここでは未来へ向かって志向する方向性という曖昧な意味で用いる)」が揺らぎ、精神的に破綻し、「家」を志向するようになるが、それをも失敗してゆく様子が描かれている。本論では、そうした阿三の精神的な揺らぎを作品の流れを追いつつ説明し、さらに作中に現れた「認知地図」として、阿三の精神状態が安定しているときの居住地が上海の中心部であり、破綻しているときのそれが、浦東に代表される上海の周縁に当たることを示し、志向する方向性を見失った阿三が、上海の周縁部に居を構え、精神的に破綻してゆく図式が上海の周縁化、拡大に伴うある種の揺らぎを表現していることを明らかにした。

 

 こうした王安憶の上海に対する悲観やアンビバレンツは、彼女の作家としての危機意識と無関係ではない。そこには、海外における当代文学の評価の低さに始まり、いわゆる「海派」作家への蔑視に対する劣等感があり、さらに90年代以降の中国における文学の価値の低下に対する危機感がある。さらに、それは90年代に上海の知識人を中心に提起された、知識人の精神的周縁化の問題、すなわち「人文精神」の失落の問題とも無関係ではないのではないだろうか。

 

2.南京国民政府の教育政策と「国民」形成−

                 「公民」概念・公民教育の変容を手がかりにして−

大澤肇(東京大学大学院院生)

 本報告は、1920〜30年代中国における国民国家形成と教育との関係を、主として教育政策、実践、教科書、教育界の言説などに見られる「公民」概念・公民教育の変容から考察しようとするものである。

 

 中国教育史を見てみると、「市民」を育てるための教育科目として「公民科」が1923年に成立し、同時期に各地で公民教育運動が盛んに行われたことがわかる。この時期はまた、「家庭が教育に責任を持つ」「実践や身体的訓練に注意する」等の概念が教育界に定着した時期でもあった。しかし5・30事件や教育権回収運動などによる排外的ナショナリズムの盛り上がりによって、リベラルな公民教育を否定する方向に教育界は進んで行った。

 

 初等教育を重視した国民政府の政策と、教育普及を目指す教育界の流れが合わさり、1932年以降、教育建設は順調に進んでいった。しかし教育の実情を見てみると、学生に社会を理解する様々な知識を与えるというよりは、20年代以来の実践や身体的訓練を主とした教育がなされており、政治的主体たる市民を育てるというよりは、動員対象とする「好公民」を育てるという方向へと公民教育は転換していった。同時に、国民政府は学校外教育、すなわち社会教育においても「公民訓練」を行った。そのため江蘇省では、社会教育施設が民衆を組織し、動員していく体制を、党部と協力して構築していったのである。

 

 このような公民教育の思想的背景には、三民主義と儒教があった。社会における儒教の需要は、私塾の増加などに見られるようにむしろ1930年代には増えており、これを利用して国民統合を進める一派と、それに反対する者との間で、教育界においては読経論争が起こった。このような「フォルク」的ナショナリズムと「ナシオン」的ナショナリズムの対立は、1920年代から抗日戦争中まで続くものであった。

 

3.「満州国」臣民から新中国の少数民族へ

            ―中国国共内戦期における東北地区居住朝鮮人の国籍問題―

李海燕(一橋大学大学院院生)

 本研究の研究対象としている第二次世界大戦後の中国東北地区居住朝鮮人は、中国国共内戦期をはさんで、「満州国」臣民から、新中国の一少数民族である「朝鮮族」となっていく。本研究は中国国共内戦期における東北地区居住朝鮮人の国籍問題の解決過程、おもに受け入れ側である中共の政策の変遷過程を追求することを目的とした。

 

 主な分析資料として、中国共産党の決定、指示、計画、報告、布告および会議記録等の内部資料、機関紙である『延辺日報』・『東北朝鮮人民報』、『東北日報』、『人民日報』を使用した。これらの資料を分析した結果、以下の史実が明らかになった。

 

 解放直後、中共は東北地区居住朝鮮人を少数民族とみなすという方針をとっていたが、それは具体的な政策として施行されるには至らなかった。1947年10月に「中国土地法大綱」が発布され、12月に「東北解放区実行土地法大綱補充弁法」が公布されてから、土地所有権の付与をめぐって、東北地区居住朝鮮人の国籍問題が実質的に提起されることとなった。当時の延辺地委書記の劉俊秀は「二重国籍」という方式で、この問題の一時的な解決を計った。1948年8月15日に中共延辺地委は「延辺地委関于延辺民族問題」という文書を出して、延辺居住朝鮮人の少数民族としての地位を承認したが、これは解放後中共がはじめて東北地区居住朝鮮人の少数民族地位を正式に承認したものであった。続いて、12月9日に「民族政策中的幾個問題」が出されたが、そこでは延辺居住朝鮮人に土地権、人権および財産権を与えることとなっていた。上述した一連の過程を通じて、東北地区居住朝鮮人は中共に少数民族としての地位を承認され、東北地区における1948年末の選挙に参加して、公民としての政治的権利を行使した。

 

 また、東北地区居住朝鮮人の国籍問題については、中共以外に北朝鮮側の政策も分析する必要があるが、それは今後の課題としたい。

 

 

4.中国都市部における地方出身者の生業構造――北京市廃品回収業の実証研究――

山口 真美(東京大学大学院院生)

 本報告は、今日の中国社会における農村出身者の社会移動の可能性と限定性を議論しようとするものである。中国では近年、農村―都市間の空間的な労働力移動はかなり自由に行われるようになった。しかしながら、都市部における地方出身者の就業機会が依然としてインフォーマルセクターに限定される現状で、社会移動はどの程度実現しているのだろうか。本稿では、そうした議論の足がかりとして、インフォーマルセクター内の一業種を取り上げ、就業者の日常の就業形態、就業歴から職業移動の在り方を考察した。

 

 本稿で主に取り上げた業種は、北京市の廃品回収業である。北京市においてこの業種は就業者のほとんどが河南省固始県出身者であることで知られる。廃品回収には特殊な技術や多額の参入コストが必要とされず、比較的誰もが参入しやすい業種であるように思われる。それにも関わらず、この業種が独占的な労働市場を形成する要因は何であろうか。本報告は報告者による半年間のフィールドワークに基づくものである。

 

 その結果、廃品回収業は業種外との間で分断された労働市場であることが指摘される。つまり、業種内に何らかの社会関係を持つ者にとっては比較的参入しやすいが、それを持たない者にとっては参入は非常に困難である。利用される社会関係は、大部分が血縁・地縁関係であった。労働市場分断の要因は、主に以下の3点にあると考えられる。第一に体制内資源へのアクセスの困難、第二に流通機構が未発達であることによる情報の不完全性、第三に古参者の既得権益が挙げられる。このような資源が、業種内就業者の間ではネットワークを媒介としてやりとりされることが労働市場分断の要因であると考えられる。最後に、北京市のインフォーマルセクターにおける他業種との比較から、こうした就業者の人的ネットワークによる労働市場の分断は中国のインフォーマルセクターにおいてかなり普遍的に見られることが指摘される。                 

 

5.中国米生産農家の価格供給反応に関する実証分析

毛慶森(東京大学大学院院生)

 米は中国国内において最も重要な食糧作物である。改革開放以来、政府は米価格を引き上げることによって米農家の生産意欲を高め、米生産を増加させた。しかし、米は食糧生産に占める比重が低下し、作付面積も減少している。政府の価格政策の目的は食糧増産であったが、米の増産に関して、農家は必ずしも積極的に行動しているとは言えないと考えられる。

 

 本稿では、まず米を含め中国政府の食糧経済政策を整理した。次に、米増産と米生産の変動という2つの側面から、中国米生産の長期動向を把握した。その次、米生産の地域分布について述べた上で、米生産が著しく変化した広東省と黒龍江省での米作付面積の変化要因について考察した。最後、Nerloveモデルを用いて米生産農家の価格供給反応に関する実証分析を行なった。

 分析結果は以下の通りである。

 

 米増産の大部分は単収の向上によってもたらされたが、単収の向上は耕作制度の改善、新しい栽培管理技術の開発、品種の改良などによって得られたことが明らかとなった。単収と比べて、米の作付面積は米の増産に大きく貢献しなかったが、それは、経済発展に伴い耕地面積全体が減少したことと、米の栽培が他の農産物に転換したことによる。米の生産が伸びた一方で、それはあまり安定的ではなかった。単収の変動によって、生産量が不安定であったためである。

 また、広東省で米作付面積が減少した原因は、耕地面積の激減、主産しているインディカ米の市場需要の低下、農家の米より収益性の高い農産物への転換、などである。一方、黒龍江省で米の作付面積が拡大した原因は、水田面積の拡大、寒冷地稲作栽培技術の向上、優良品種の普及、生産しているジャポニカ米の収益性が高く、国内外の市場での競争力が高まっていること、などである。

 

 米の価格に関して中国米生産農家の供給反応は中立的であり、農家は米の単収により反応的である。これは、耕地の零細分散性と食糧生産の半自給自足といった中国農家の現状、単収の不安定性などと深く関わっていると考えられる。

 

6.中国農村地域における経済変動とコミュニティの変容

                  −浙江省杭州市G鎮H村の農村工業化を事例に

(宇都宮大学大学院院生)

 中国の農村地域では、経済改革が進行するにつれて農村工業が「郷鎮企業」として急速に発展を遂げ、著しい経済変動の進む中に社会の変化も生じている。本稿では、農村経済を活性化させる鍵としての農村工業に着目して、杭州市のH村を例に、村営工業の立地展開と村落社会の変化について考察を行った。その結果、以下のことが明らかになった。

 

 対象地域H村は地元の伝統産業から「郷鎮企業」をスタートし、改革・開放の20年を通じ、゛超級村゛まで成長し飛躍的な経済発展を遂げてきた。対象地域の「郷鎮企業」はその発展過程において、集団所有の所有制形式と、他農村地域の工業企業との連合経営に注目し、「村民」と「指導者」、指導者グループ構成員間の「信頼関係」と連合経営パートナーの間の「仁義関係」をテコとして成功した。

 

 農村工業の成長につれて、まず職業からみると、農村地域の中で農業に代わり、工業が中心的な部門になった。「村営農場」が建設されるにつれ、農民は兼業の形で郷鎮企業に働くのではなく、完全に土地から解放された。又、人口から見ると、出稼ぎ者が大量に流入してきた。村民と外来者との関係において、農民たちが「信頼関係」、「現実利益」を重視する伝統的な考えを継承しつつ、今までなかった「外向き」の姿をみせている。これから、特徴づけられた農民の「閉鎖的な性格」も少しずつ薄くなっていくであろう。最後に、社会構造の原点である家族の角度からみると、外見上では小家族・核家族化が進んでいるが、「孝」、信義重視など「伝統的要素」が実質的に作用していることが解明された。

 

 このような経済と社会面の急速な発展において、キーパーソンとして指導者に注目した。指導者を検討するにあたって、第1に指導者の実像を抽出した。第2に村における指導者の役割があげられる。第3に村レベルの最末端の権力現象に着目した。

 

 対象地域のような、工業企業、そして都市労働者並みの所得水準と福祉保障などを揃え、一見゛都市化゛がますます進んでいる地域であっても、聯営パートナーとの個人的な「仁義関係」、「本村人」と「よそ者」間の「見えざる壁」、「動員」主導の「村民自治」、制度ではなく個人のモラル(徳)の方が云々されることなど伝統的な要素が多く見られる。国家の制度と政策が「伝統的」なエネルギーを圧迫するのではなく、如何に上手に引き出すかということが大きな課題であると思われる。

 

7.中国における公有制の変容と証券市場の法整備

楊東(一橋大学大学院院院生)

 中国における公有制の変容は、所有制度に関する憲法改正及び証券市場の発展・法整備と、切り離せない関係にある。日本などの西側資本主義国と異なり、中国株式市場、証券市場の法整備は、社会主義公有制理論の発展及び中国憲法の改正と密接に関わっている。伝統的な社会主義公有制の下、資本主義の証券制度を発展させることは不可能であろう。資本主義の証券制度を発展させるためには、公有制概念の拡大が必要となる。それゆえ中国では、公有制理論を発展させ、憲法の改正が行われてきた。公有制概念の拡大と憲法改正の進展につれて、証券市場の法整備も前進してきたといえる。

 

 このような背景を踏まえながら、本論文では、まず次の点を明らかにした。第一に、『証券法』の制定における障害は、全人代各委員会、国務院の行政部門などの間における利益面の対立などの要因に帰するだけでなく、根本的には、思想面における社会主義公有制にかかわるイデオロギー的な論争といえること。第二に、社会主義公有制の変容という視点から、先進的な資本主義証券法制度及び法技術を導入する前に、まず、社会主義計画経済からの転換、国有企業改革に残された体制的な問題(例えば、公有制を維持するために形成された国有株の上場流通の問題など)を解決すべきこと。

 

 また、現行の証券法には、投資者保護措置の不足、条文の実行性の欠如、規定の不備が多いなど、すでに多くの問題が指摘されている。そこで筆者は、社会主義公有制の視点に立ちながら、主として二つ問題について検討を行っている。第一に、社会主義公有制にかかわる証券法の立法目的と国有株の上場流通の問題、第二に、計画経済的な手法の問題である。これらの問題を検討した結果、社会主義公有制とかかわる論点が度外視されていること、計画経済的な手法が濃厚に残存していること、が当面の証券市場法整備における最大の課題であることが明らかになった。

 

 以上の他、社会主義公有制の変容と証券市場の法整備の関係について残された問題を明らかにし、最近の証券市場法整備と社会主義公有制理論の発展、憲法改正の動向を紹介し、今後の課題についても指摘を試みている。

 

8.「一国二制度」の行政・立法関係

倉田 徹(東京大学大学院院生)

 返還後の中国中央政府と香港特別行政区政府は、中央政府が香港に干渉しない一方、香港政府も中央政府を刺激する民主化などの政策を抑制し、相互に譲歩することによって蜜月関係を保っている。しかし、香港政府が中央政府に譲歩する政策をとることは、香港域内政治には緊張をもたらしている。本研究は「一国二制度」方式の下で、従来中央政府と香港政府の摩擦という形で出現すると考えられてきた「二制度」の矛盾が、香港域内政治のレベルで展開されている構図を明らかにしたものである。

 

 香港では行政長官や行政機関のトップの選出に中央政府の意向が強く反映される制度が採用されている一方、立法会議員の一部は香港での直接選挙で選ばれている。つまり域内政治に中央の意向を反映する選挙制度と、香港の民意を反映する選挙制度の「二制度」が併存している。その結果、行政機関は中央政府と同盟関係にあった親中国派や財界人が多数を占め、立法会の直接選挙では労働者利益を優先する民主派が勝利した。

 

 その上で「香港基本法」は立法会の政策立案の権力を厳しく制限し、「行政主導」の原則を徹底させている。そのため香港の民意を代表する立法会議員の意見はしばしば行政によって却下されてきた。これに対して立法会議員は政府の失策などにあたり激しく政府を批判し、行政と立法の鋭い対立が発生した。その結果、政府は政策に対しての責任を明確化する「高官問責制」などの導入を約束し、立法会議員に対して一定の譲歩を見せた。

 

 中央政府と香港政府の蜜月関係は、「二制度」の矛盾を香港の域内政治に持ち込むことによって成立している。一方中央政府も香港に対する政治・経済など幅広い分野での優遇策・譲歩策を実施しており、これは別の地方政府の反対などの矛盾をもたらす可能性が考えられる。その分析は報告者の今後の課題である。

 

☆関西部会夏季研究集会☆

 関西部会夏季研究集会が七月六日(土)午前十時半より関西大学100周年記念会館で開催され、自由論題の六本の報告とシンポジウム「第16回党大会を迎える中国」が行われた。シンポジウムでは報告に先立ち内藤昭理事より趣旨説明が行われた(ニューズレター六号に掲載)。七十名あまりの参加者により熱心な討議が繰り広げられた。研究集会終了後、同会館で懇親会が開催され約三十名の参加でなごやかに歓談した。

 

自由論題

政治経済分科会    司 会:佐々木信彰(大阪市立大学)

1.1960年代における国連の「中国代表権」問題をめぐる第三世界の動向―「一つの中国」と二つのアジア・アフリカ連帯運動―

加治宏基(愛知大学院生)

 1961年、米国の対国連認識・政策の転換に伴い、国連へと持ち込まれた「中国代表権」問題が、同一の文脈により舞台を国連へ移し、共に同時期重要課題となったいわゆる「南北問題」といかに相互作用したのかを考察した。一方国連外においては、二つのアジア・アフリカ連帯運動が、国連における「中国代表権」問題をいかに扱っていたのかを分析した。

 

 結論として、「中国代表権」問題をめぐる考察には、「第三世界」という南北軸による考察のみならず、「第三世界」に内在する東西軸が不可欠であることを、非同盟運動(非同盟諸国首脳会議等)に関する諸資料より検証した。

 まず、当時の国連をみる際の背景として、国連の「中心」と国連の「周辺」との間には、国連像(国連認識)において差異があったことを指摘した。その上で、理想的「国連」の実現を目指す第三世界諸国による非同盟主義・運動の変遷をたどり、そこに二つの流れが存在したことを指摘した。

 

 その分岐点となったのが、平和共存か反帝国・反植民地主義かという路線選択であった。しかも、それは中ソ・中印対立として体現された路線対立であった。その要因から1965年、アジア・アフリカ連帯運動は非同盟運動に集約された。

 

 アジア・アフリカ連帯運動の動向と呼応するように1965年を境に、国連内においても転換期を迎える。66年以降の後半は、「中国代表権」問題の新たな審議方式(いわゆる「二重承認」案)の提案や第一次「国連開発の10年」の失望的展望が表面化し、「南北問題」政策の反省と再考を迫られた時期であった。

 今やアジア・アフリカ連帯運動の集大成的存在となった非同盟運動においては、アルゼンチン等中南米諸国の地位が、第三世界諸国による「中国代表権」問題をめぐる動向を左右する要因であったことを検証した。

 

 今後の課題としては、「中国代表権」が中華民国であった1960年代以前と、中華人民共和国へとその代表権が移行した1970年代以降とを比較することで、国連における「中国代表権」と国連外での第三世界の動向との関連性を分析する。

                                       

2.中国における鉄道産業の成長と構造変化

姜 旭(桃山学院大学院生)

 広大な面積、膨大な人口を有する内陸国家である中国にとって、旅客・貨物輸送の最も主要な交通機関である鉄道は100年以上の歴史を有し、国民経済建設に重任を担って、中国経済の命脈を握って、鉄道の役割は決定的に重要である。建国以来の半世紀にわたり、鉄道産業は急速に成長したとともに、新線の敷設、電化線路や複線化など質の向上、貨物輸送の充実、旅客輸送の強化をあげていたことも見られる。全国総合運輸システムの中の根幹で、経済発展の支柱として、交通輸送業界の中核である位置を示している。しかし、市場経済化が進むにつれ、鉄道産業の国民経済における役割も変化している。近年の経済発展に伴って鉄道輸送需要はますます増大して、それに対する鉄道輸送供給が追いつかない状況にある。その原因を考察してみると、鉄道運輸設備の増加には、増大を続ける貨客運輸需要のスピードより大きく立ち遅れている現状である。鉄道輸送が国民経済の急速な発展によって起こる運輸需要を満足させていないことである。

 

 本報告は、この長い歴史で、鉄道産業がどのような変化と発展が起こるか。中国における鉄道産業の歴史と現状、及び交通システムにおける鉄道産業の役割を考察するとともに、この50年間に勝ち取った成績を振り返り、鉄道産業の成長、構造変化およびその時代背景を分析するものである。具体的に、全部で4つの部分により構成されている。第一に、鉄道産業発展の歩み、鉄道整備の歴史と発展過程。第二に、交通システム中で、貨物輸送における鉄道産業の発展役割。第三に、旅客輸送における鉄道産業の発展と構造変化を分析する。第四に、経済発展と鉄道産業の関係について述べる。

 

3.中国における日系企業の現地経営戦略――企業文化形成の分析視点から

朱 良瑞(大阪経済法科大学)

 中国に進出した日系企業は、進出目的、企業形態、本社との関係、現地化政策等の違いによって、異なる現地経営戦略の展開を見せてきている。われわれは企業文化類型化モデルを用いて、在中日系企業の異なる企業文化の様式を考察することによって現地経営の特徴を分析できると考える。

 

 類型化モデルでは、量的分析次元である企業文化の強度(強いか弱いか)を横軸に、質的分析次元である企業文化の方向(内部志向か外部志向か)を縦軸に使い、在中日系企業において形成されつつある企業文化を4つの類型に分けられた。それぞれの類型には以下のような特徴が見られる:企業文化が内部志向で強度の強い「受動型」企業は保守的で、環境適応が困難である。「事勿れ主義」が浸透し、人間関係は自己中心である。企業文化が内部志向で強度の強い「官僚型」企業では、利益追求という明確な経営理念のもとで、効率のみが重視されている。企業内人間関係は相互競争にある。企業文化が外部志向で強度の弱い「適応型」企業は現地志向でありながらも、有効な企業制度を作り出せず、企業経営に独自性がない。企業文化が外部志向で強度の強い「現地融合型」企業では、経営理念が明確で共有されており、企業内人間関係は協力的である。現地化に積極的で、環境に適応した独自な企業制度が構築されている。われわれの調査結果では、「官僚型」は独資でコスト削減を進出目的とする日系企業に多く見られたのに対して、「現地融合型」は現地市場参入を進出目的とする日系企業に多く見られた。

 

 日系企業の現地経営戦略における今後の課題としては、リーダーシップの発揮、進出方針の見直し、経営戦略の短期志向の克服、一貫した本社からの協力などが挙げられる。一方、企業文化の強化と変革の問題に関しては、「官僚型」から「現地融合型」への変革が中国WTO加盟という経営環境の変化の中で果たして必要かどうか、これまでアジアを渡り歩いてきた「官僚型」日系企業の現地経営戦略が問われることになり、今後注目されるところであろう。

 

文学歴史分科会    司 会:青野繁治(大阪外国語大学)

4.満鉄附属地華商商務会について−附属地中国人社会の一考察−

大野太幹(愛知大学院生)

 中国東北地方を縦断する南満州鉄道に付随する鉄道附属地は、日本の行政権が行使され中国側権力の及ばない地域であったが、その存在は周辺中国人社会にどのような影響を与えたのだろうか。本報告では、満鉄附属地において附属地居住華商により設立された商務会を一例として取り上げ、その設立過程や役員構成および活動を分析し、附属地中国人社会の特色や附属地外中国側権力との関係を考察する。

 

 開原や長春のような特産物集散地においては、取引の円滑化をはかるために商務会が設立され、役員もほとんどが糧桟や油房業者など特産物取引に関わる者であり、またその多くは中国側城内などに本店を有する商店の支店であった。一方、奉天は特産物集散地ではなく、輸移入物資の消費地という性格が強かったため、商務会の設立目的も争議の仲裁や店舗の救済・整理など、附属地中国人商業の秩序維持が主なものであった。また役員の業種も旅館や飲食店といったサービス業や金融業が多く、附属地の外部と関係を持つ者はいなかった。上述のように、開原と長春の附属地商務会は附属地外部との関係を保持していたが、そのことを示す例として両商務会では特産物取引に関わる各種税捐を附属地内華商から代理で徴収し、中国側当局に納めていた。両商務会は特産物取引に関わっており、その取引の性格上附属地外中国側権力との関係を無視することはできず、そのため日本の行政権下にありながら中国側権力との関係も保持していたと考えられる。その一方で、開原附属地の商務会は附属地外小孫家台においても病院や学校の経営などを行っていた。小孫家台は附属地外にあり、これらの施設は本来中国側商会あるいは行政機関が管理すべきものだったが、開原では中国側行政機関所在地である開原城と附属地が離れた場所にあり、附属地の発展に伴い開原城が衰退していたため、中国側商会や行政機関が附属地周辺において影響力を発揮できなくなっていた。

 

 結論として、各附属地によって華商商務会の性質は異なり、開原や長春では中国側権力との関係を保持していた。また開原の商務会は中国側商会をも凌ぐ勢力を有していた。こうした特色は奉天政権への対応にも反映するものと考えられる。今後はそうした相関関係を中心に研究を進めていきたい。

 

5.劉吶鴎の『永遠的微笑』について

張 新民(大阪市立大学)

 これまで劉吶鴎研究は、映画理論を中心に行われ、映画作品に関する研究はほとんどなく、その映画理論を実証的に映画制作に反映させたかは、未解明のままである。この状況を打破するため、本報告では、劉吶鴎が理論提唱から制作へと転換したデビュー作『永遠的微笑』を取り上げ、作品のオリジナル性、創作方法、主題を論じ、日本映画の影響及び作品に現れた社会観性を中心に考察していきたい。

 

 現在までの研究では、『永遠的微笑』は、オリジナル作品、トルストイ『復活』の翻案作品、という二つの説がある。翻案作説は、黄仁氏が2000年に出版した『劉吶鴎全集・電影集』(台南県文化局)の「『永遠的微笑』劇本重刊序」において、新しく提起したものである。しかし、『劉吶鴎全集・電影集』に収蔵の「『永遠的微笑』看試片記録」で、劉吶鴎本人が「鏡花の劇作の境遇」を借りたと説明しており、それと矛盾している。黄氏は、そのことに一言も触れず、詳細な比較もせず、『復活』の翻案作という結論を下し、疑問が残されたままである。本報告は、泉鏡花とその周辺の作品を調査し、物語、ストーリーの展開、登場人物の設定などの確認を行ない、その結果、溝口健二が監督、泉鏡花の短編小説『義血侠血』をアレンジした映画『瀧の白糸』(1933年制作)と非常に相似していることを究明、『永遠的微笑』は翻案作であるが、『復活』ではなく、溝口健二の『瀧の白糸』であることを明らかにした。

 

 『永遠的微笑』の創作にあたっては、劉吶鴎は「前期自然主義」を用い、「ロマンチック色彩」を附帯させたと、説明している。ロマンチック色彩は、主に主人公の人格の崇高化と行為の理想化を通して表されている。「前期自然主義」として、社会気風を堕落させる根源は利己主義であるという社会的認識を作中に盛り込みながら、高尚な情操のある「霊」の恋、自己中心的で、見通しのきかない「思春期」の恋、私欲に走り、自堕落に甘んじる「肉」の恋、三つの恋愛の対照を通して、社会と個人の衝突・矛盾を観念的に描いている。これは泉鏡花の「観念小説」と酷似している。また、『永遠的微笑』では、ある程度社会問題に触れているが、正義感による吐露という程度にとどまって、更に深層を描くというものではなく、この点は劉吶鴎自身の「新感覚小説」と共通する部分である。

 

 映画の主題に関しては、ストーリーから、映画『瀧の白糸』と同じで、つまり男の出世と男のため犠牲となる女の悲劇であるが、モチーフは、異なっている。映画『瀧の白糸』は、「義」(恩義・忠義)と「徳」(献身)の強調を通して、献身的な情け深い聖なる女性を描いているが、『永遠的微笑』では、「義」(道義)と「仁」(克己)の強調を通して、公正無私が理想的社会へ導く正道という社会観性を表現し、高尚な情操ある正義感の強い女性を描いた。

 しかしながら、作品の完成度については、『永遠的微笑』は主題が先行しており、優れた作品とはいえない。

 

6.『辺城』随想

福家道信(近畿大学)

 沈従文の故郷は湖南省湘西土家族苗族自治州鳳凰県である。彼の故郷を訪れるたびに感じるのは、高度差の大きい起伏に富む山々と川辺の景色が美しく、また鳳凰県城の城門、城壁、そして城内老街の木造家屋や川辺の吊脚楼などの織り成す景観が、土地の辺鄙さにもかかわらず、意想外に創意工夫に富む造型感覚を感じさせることである。これは個人的な思い入れなのではないかと思わぬでもないが、沈従文の甥の黄永玉が書いた散文や絵画作品からしても、また沈従文自身の作品を読み返してみても、やはりそのようである。一つの土地の自然環境と、そして自然環境のなかにおける人間の集落の歴史的地理的条件というものは、特定の文化的風土を形成し、個性的な人間をはぐくむ一種の土壌となるのであろう。

 

 これを作家研究において立証するのは容易ではないが、晩年の朱光潜の書いた沈従文評は、やはり沈従文の芸術の根底にある才能として、少数民族特有のいくつかの長所を取り上げ、なかでも民間手工芸に対する審美眼の鋭さを指摘する。『中国古代服飾研究』の随所に見出される民間芸術についての新鮮な独自の視点は、沈従文が小説家だった時期にすでに彼の内部で醸成されていたのであり、それをさらにたどってゆけば生地における彼の幼少年期の環境と体験に帰着しよう。このようにして「辺城」や「従文自伝」を振り返るとき、彼の文章のなかに、いかに数多くの農村の日常的なイメージや、市場・集落の物産とそれらを生み出す農民、職人たちのイメージが、濃密な密度でもって、時には二度三度と繰り返されながら、たんねんに描きこまれていることか、改めて気付かれよう。

 

 本発表はこうした観点から、鳳凰県およびその周辺の土地の写真、家屋の形式、各種の民間芸術などの図版を例示しつつ、沈従文の文体的特徴の、分析の可能性を提示しようとした。

 

シンポジウム:第16回党大会を迎える中国

<司会>石田 浩(関西大学)

政治:現代中国における秩序の正統性問題――法治・徳治・民主化をめぐって――

報告者 季 衛東(神戸大学) ディスカッサント:西村 成雄(大阪外国語大学)

 

 1989年の天安門事件以降、中国共産党は空前の正統性危機に直面し、かつその対処に力を入れたが、いまだに抜本的な解決ができていない。こうしたなか、江沢民総書記が、近年来、「三つの代表」論(デパート化した執政党、catch-all people’s partyという概念の確立)、私営企業資本家・経営者に党員の適格性を認める組織原則(階級分析法の否定)および時代と共に進むという発展観などで、党の新しいアイデンティティを構築しようとしてきた。これを受けて、間もなく開かれる第16回全国代表大会で規約改正をめぐって議論が交わされるであろう。しかし、党のイデオロギー、執政綱領および国家権力構造を徹底的に変えない限りでは、政治的教義の自己撞着が増幅された結果、よりいっそう深刻な正統性問題に悩まされることは必至である。

 

 確かに、1990年代にナショナリズムが高揚し、経済高度成長が国民に実益あるいは希望をもたらした結果、現行体制の正統性問題を、ある程度まで潜在化させている。しかし最近、かかる状況は変わりはじめた。国有財産のインフォーマルな私有化によって作り出された「権力的資本」が、生産的資本になるという期待を裏切って、浪費されながら、大挙海外に流出していっている。一方、貧富の格差がますます開かれ、労働者と農民の生活状況がよりいっそう悪化したがゆえに、社会には相対的不満および未来への不安が高まりつつある。なお、WTO加盟後、行政過程の透明化を初めとする制度改革へのグローバリゼーションの圧力が一段と強まる。要するに、「先富から均富へ」という改革公式への信頼が動揺して、実益と安定の交換をめぐる歴史的妥協も賞味期限を過ぎようとしている。そこで、より高尚な「希望の構造」を築いて、より制度的な正統性資源を開発することが、第16回党大会をきっかけとして、新たに求められるわけである。

 

 今日の中国が、すでに社会構造および価値観が多層多様化し、異なる利益集団が並存・競争するようになっている。したがって、これから秩序の正統性は多元主義的政治および「意見市場」に依存せざるをえず、共産党指導部は、かかる競争的政治を党の内部において認める(一党独裁を前提とする党内民主の強化)か、それども党の外部において認める(一党優位を前提とする多党協商の本格化)かという選択を迫られる。競争的政治の内部化は、党のリーダーシップを維持する面で有利になるかもしれないが、イデオロギーの解釈的転換を必要とするし、場合によって党内分裂の契機を作ってしまう。これに対して、党の外部で突破口を探るならば、全国政治協商会議の役割再定義も、漸進的民主化・立法機関の代議制化のもう一つの選択肢として浮かび上がるであろう。

 

経済:社会主義市場経済の進展と労働者−非正規就業をめぐって−

報告者 上原一慶(京都大学)  ディスカッサント:山本 恒人(大阪経済大学)

 

 「改革・開放」からほぼ四半世紀、社会主義市場経済の提起から10年を経た今日、そして新たな政治的指導部の登場が予定されている今日、中国の民衆にとって、「改革・開放」とは何であったか、またあるのか、とりわけ社会主義市場経済とはどのようなものであるかが真剣に問い直されていいと思われる。

 報告は、急速に増大してきており、その発展が近年、強調されるに至っている非正規就業を取り上げ、その実態を通して、上述の問題に迫ろうとしたものであった。

 

 非正規就業(敏活就業、弾力的就業という言い方もある)とは、伝統的典型的就業形態とは区別される就業形態であり、「労務契約が随時に中止される可能性がある」ことと、「労働時間の長短は雇い主と労働者双方の臨機応変の選択による」点に本質的特徴があるとされる。ごく簡単にいえば、雇用に関する規制の緩やかな、あるいは規制から事実上はずれた、自由な就業形態であり、都市部非正規部門(インフォーマルセクター)と正規部門の臨時工等、正社員以外の就業形態である。

 報告における論点は、以下の通りであった。

 

 @中国では非正規就業の発展が、単に膨大な就業圧力を吸収するために強調されているだけでなく、オランダの例などを挙げながら、発達した国家の進む方向でもあるとして、全面的に肯定されている。

 A第9次5カ年計画期でみると、非正規就業は20%強から40%強に増大しており、また単に非正規部門(インフォーマルセクター)ばかりでなく、正規部門内でも増大しており、都市部雇用構造の非正規就業化が急速に進展しているといえる。

 B非正規就業は雇用吸収面では重要であるが、その雇用実態は、かつて大河内一男が指摘した、近代資本主義勃興期(産業革命後から1840年代までの時期。日本では明治後期)の「原生的労働関係」の性格を濃厚に帯びており(なおこの点は、先に李捷生[2002]が指摘している)、いわばむき出しの資本の論理が貫徹したものである。

 C非正規就業の発展は、したがって「原生的労働関係」の克服が必要であるが、現実にはその契機を見つけにくい。

 Dなによりも過剰な労働力供給と、都市部住民と農民工の競合・競争で、その克服は容易ではない。さらに重要なことは、中国の政策ブレーン達が、労働法の適用等、労働関係への介入は、雇用削減を招くとして、その克服に消極的であることにある。

 Eしたがってこのまま進めば、社会階層分化の一層の進展、労働者階層の総体としての地位低下、底辺化が進む可能性がある。

 F日本の経験では、平均規模が20人前後の小零細企業で、最低賃金以下で就労している労働者の割合はおおむね2%以下であり、最低賃金制の適用が雇用へマイナスの影響を与えているというほどのものでないことが明らかにされている。

 G中国は、今後、市場経済プラス社会政策重視の政策へ転換すべきではないか。

 

<司会>副島 昭一(和歌山大学)

歴史:現代中国における歴史意識の変容―1930年代中国政治史像の再解釈をめぐって―

報告者 田中  仁(大阪外国語大学)  ディスカッサント:陶 徳 民(関西大学)

 

 中共の革命戦略は1920年代末に体系化され,従って遵義会議において毛沢東が党内の指導権を確立したことが革命勝利の基本的要因であったとする理解は,この半世紀の間,中国における"通説"として中共党史のみならず革命史・政治史における枠組みであり続けてきた("井岡山原点説"&"遵義言説")。ここでは,ソヴェト革命の破産によって存在の危機に直面した中共が抗日統一戦線政策の適用を契機として新たな政治的可能性の獲得し再生を果たしたという観点から,1930年代中国政治史像の再解釈を試みる(拙著『1930年代中国政治史研究―中国共産党の危機と再生』勁草書房,2002年)。

 

1)根拠地構想["軍事的"保障〜"政治的"保障〜"制度的"保障]。

2)組織問題[中共・"中華ソヴェト共和国"・紅軍〜中共・陝甘寧辺区政府・8路軍&新4軍]。

3)革命路線の"転換"問題["中華民族社会"の発見〜"国家"変革をふまえた統戦政策の展開〜ソヴェト革命路線の"放棄"〜"抗日民族革命"的認識の獲得]。

4)王明の役割["社会ファシズム"期のコミンテルンに適合的な中共の体制としての"王明路線"〜"民族"的価値の是認を前提とするコミンテルンの見解の具体化]。

5)張国Zの軌跡[党中央の分裂と民族問題]。

6)毛沢東の役割["矛盾"論的認識方法の獲得〜政治構想・軍事構想における中国的特質の確認〜"マルクス主義の中国化"提起]。

 

1938年に提起された"マルクス主義の中国化"は"新民主主義革命"として体系化されるが,それはソヴェト革命の廃棄を前提に6全大会の政治路線を継承しつつ,一部の"欠点と誤り"を"中国革命に関する毛沢東同志の理論と実践"で代替したものにほかならない。中共の"人民"概念は,1945年,"大地主・大銀行家・大買弁"に対置するかたちで提示された。1949年7月に"人民"民主独裁が提出された後,10月に"人民"共和国が成立する。一方1945年に綱領化された"毛沢東思想"は,a."帝国主義"の矛盾の激化;b.内外諸情勢を"両極化"の枠組みで把握すること;c.中共が"人民"の指導の核心であること,を主たる構成要素としていたと理解しうる。

 

 この"毛沢東思想"は,"継続革命の否定"(…b),"平和と発展を基調とする"世界情勢認識(…a)によって,15全大会の段階では"中共=人民の指導の核心"論(…c)のみが残された(“ケ小平理論”)。アジア経済危機前後の経済成長・WTO加盟・新富裕層の形成・台湾政治の変容など数年来の中国をめぐる諸情勢を勘案すれば,16全大会における"三つの代表"の綱領化問題は,"漸進的民主化過程"(唐亮)に適合的な中共再編の試みであるとしなければならない。

 

文学:「文学商品化」現象の現在と知識人の営為──「美女作家」「“後学”論争」「新左派」をキーワードに──

報告者 宇野木 洋(立命館大学) ディスカッサント:萩野 脩二(関西大学)

 

 報告では、まず2001年9月〜02年3月の在外研究における見聞などから、想像を絶する市場経済化の下で、中国社会・文化が「プレモダン+モダン+ポストモダン」の重層構造を示しており、大都市には高度消費社会が出現している一方で、各レベルにおける格差・不平等が顕在化していることを紹介した。その上で、文学領域の商品化現象の一例として「美女作家」ブームを取り上げ、作家のアイドル化または出版社の芸能プロダクション化の動向(グラビアその他の文章以外のパフォーマンスや読者の「のぞき見」趣味への迎合など。背景には「網絡」の普及による「美女作家」候補群の自己発信も存在)を分析し、彼女たちの小説を90年代文学の「私人化」傾向と比較した際には、「自己懐疑」から「自己愛」への変化という枠組で把握できるのではないか、との問題提起を行なった。

 

 では、こうした市場経済化現象に直面して、人文系知識人たちは如何なる理論的営為を進めているのか。その顕現が「後学(post-ism)」論争(95〜97年)と「自由主義vs新左派」論争(97年〜)と言えよう。「後学」とは、欧米の現代思想・文化理論(「後植民理論」「後現代主義」「後結構主義」など)の総称であり、文化の商品化現象を読み解く参照系として注目されたが、論争を通じて、欧米ではラディカルな文化批判理論群が、中国では「後学」と化して保守主義的言説(単純なオリエンタリズム批判と「二項対立主義」によるナショナリズムへの回収、文化商品化現象に対する無条件的な容認など)に陥ったことが浮き彫りになっていく。その要因として、進行する社会的矛盾に対する軽視も指摘できよう。

 

 汪暉「当代中国的思想状況和現代性問題」(97)は、「現代性」の検討の過程で、中国独自経験(平等志向の社会主義実践など)の見直しを提起した。激化する社会的格差などを視野に入れた思考だったが、市場経済至上主義的傾向を備えた「自由主義」者からは、「新左派」と名指しされ批判を浴びることになる。これを契機に「自由主義vs新左派」論争が開始されるが、汪暉が最近発表した「“新自由主義”的歴史根源及其批判」(01年)は問題の所在を明確に示したと言えよう。この論考を紹介しつつ、否応ない「全球化」プロセスにおける中国「現代性」の再審という理論的営為の持つ同時代的な意味について、初歩的な考察を進めた。人文的言説空間における種々の営みにも注目いただければ幸いである。

 

☆鹿児島国際大学不当解雇事件☆

本年三月、鹿児島国際大学で本学会会員田尻利氏ら三名の教授が解雇された。不当解雇の色彩が強く、ただちに支援連絡会が作られ、本学会高橋満理事長ら多くの会員が呼びかけ人となった。関西部会有志理事の申し入れにより六月八日開催の常任理事会で学会としての対応を協議した結果、ニューズレターなどで会員に情報を提供し、参加の判断は個々の会員に任せることとした。鉄山博理事(現中学会関西事務局担当理事)を通じ「鹿児島国際大学三教授を支援する全国連絡会」より以下の文を寄せていだたいた。(編集部)

 

鹿児島国際大学不当解雇事件への支援の御礼とお願い

 暑中お見舞い申し上げます。日本現代中国学会会員の皆様には本年3月末に発生した鹿児島国際大学における不当解雇事件のことは御存知のことと存じますが、貴学会会員の田尻利氏を含む三教授への支援は、戦後の日本の大学史上きわめて希な大学自治の破壊、基本的人権の侵害であり、21世紀の日本の大学の未来に関わる問題として大きな関心を呼び起こし、呼びかけ人は500名を超え、カンパも400万円を超え、また多くの方々が賛同者としてご協力いただいております。とりわけ現代中国学会からは多くの会員の先生方が個人の資格で多大なるご支援・ご協力を賜っておりますこと厚く御礼申し上げます。

 

 ただ、今後予想される長期の裁判闘争には支援の輪をさらに広げる必要があり、会員の皆様には全国連絡会のHPの資料などをご検討いただき、引きつづき呼びかけ人・署名・カンパなどさまざまな形でご支援くださいますよう心よりお願い申し上げます。

 

 なお、事件の背景や経緯については全国連絡会のホームページ:http://www.jca.apc.org/~k-naka/(文字列では「西濃社会文化協会」で検索)をご覧ください。また、呼びかけ人になっていただける先生には、全国連絡会事務局(612-8577 京都市伏見区深草塚本町67番地 龍谷大学・細川研究室内、Tel/Fax075-645-8630、Eメール:hosokawa@biz.ryukoku.ac.jp)まで「御芳名・所属・職名・連絡先住所・電話/FAX、メール・アドレス」などを電話・FAX・メールなどでお知らせいただければ幸いです。

         2002年  盛夏   鹿児島国際大学三教授を支援する全国連絡会

 

事務局短信

○六月八日開催の常任理事会で編集担当の内田知行常任理事より、本年の『現代中国』には計二十一本の投稿があり、査読の結果、四本を論文として、五本を条件付き(要書き直し)で論文として、六本を研究ノート(要書き直し)として採用し、残りの六本は不採用とした旨報告があった。

○関東部会夏季研究会(七月十三日)報告要旨は紙幅の都合などで次号に掲載する。


日本現代中国学会  http://homepage3.nifty.com/xiandaizhongguo/

全国事務局 〒153-8902 都内目黒区駒場3-8-1 東京大学教養学部中国語研究室気付

電話 03-5454-6420   E-mail :xiandaizhongguo@nifty.com

(連絡所)

〒112-0012 都内文京区大塚6-22-18 社団法人中国研究所 電話 03-3947-8029 

FAX 03-3947-8039

ニューズレター編集 関西部会事務局 E-mail :ir8h-st@asahi-net.or.jp(編集) 

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