日本現代中国学会

関西・西日本部会ニューズレター
    NO.4                           2001.8.1

 ☆巻頭言
               分離と統合
   −−地域研究活動の活性化を目指して
                             山田敬三(福岡大学)
 かつて関西部会は愛知県以西、沖縄県までを包括する広領域の組織であった。関西部会の活動は年2回の研究報告集会を軸として、この十年来、内容面でも組織面でもめざましい飛躍を経験してきたが、にもかかわらず、それは事実上「京阪神」地方の大学を中心とする文字通り「関西地区」に限定された活動であり、岐阜・愛知や広島以西の会員がそれに参加することはほとんどなかった。私自身はこの地区を担当する常任理事として運営にかかわりながら、そのことがいつも気になっていた。関西部会はその名の通り、関西以外の何者でもなかったのである。
 この問題については、部会の事務局会議でも何度か話し合われた。そして、名称のことも含めて、少なくとも西日本地区(常識的には山口以西、九州・沖縄)を分離しない限り、この地域の会員に日常的なコミュニケーションの場を保証できないだろうという結論には達していた。こうしてようやく、一昨年の全国大会で西日本部会の設立が承認され、昨年7月15日(土)には設立を記念するシンポジウムが、福岡市総合図書館でもたれた。
 このことについては、以前、関西部会ニュースでも報告したので重複は避けたいが、当日は台湾の著名な作家であり評論家でもある陳映真氏を招いて「台湾現代史を見直す」と題する基調報告を依頼し、西日本部会の理事ら6名がそれぞれパネリストや司会役を務め ながら、会員のみならず一般市民にも開放して活発な議論を展開した。当日の参加者は約130名に及んだ。
 その後、今年に入ってからも、別文で記すような研究集会を開催し、まだ西日本部会の会員としての自覚が乏しい日本現代中国学会西日本地区の会員にも地域研究活動への参加を呼びかけ、討論や懇親の場をもつことができたのであるが、もちろん、現代中国の研究はローカルに限定した空間で行うことが理想というわけではない。今後は、いったん分離した関西部会と合同のニュースを発行し、相互に啓発を深めながら、それぞれの地域の研究活動を活性化するとともに、できれば、せっかくの紙面を全国版に拡張して、学会としての「ニューズレター」に発展させる方がよいのではないかと考えている。
 聞くところによれば、関東でも全国大会とは別に、関東部会としての研究活動を年3回くらいもたれているようである。そうした情報が共通の紙面で会員に伝わることは、それぞれの地域研究活動を活性化するばかりではなく、学会全体の研究レベルの向上や若い研究者を吸収する窓口にもなると思われるのである。


 ☆関西部会2001年夏季研究集会
 本年の関西部会夏季研究集会は、六月三十日(土)午前十時半より午後五時半まで例年通り大阪市立大学文化交流センターで開催された。午前中は自由論題とし、午後は村田晃嗣氏(同志社大学法学部)の特別講演およびシンポジウム「中国の西部大開発ー21世紀 のスプリングボードとなるか」が行われた。今回の研究集会も、時間帯・部会で多少のばらつきはあるものの、全体では参加者は百名近くに達し、終了後の懇親会にも三十七名の参加者があり、盛会であった。

○自由論題
政治経済分科会      司会: 古澤賢治(大阪市立大学)
小林正典(一橋大学法学研究科研修生)
「中国の西部大開発と民族法制の課題」
 少数民族が数多く居住する西部地区は、「地大物博(面積が広く資源が豊富)」と評されるものの、基本的なインフラの整備が不十分であり、外国企業の投資にも固く門戸を閉ざしてきた。ところが、国債等の国内資金や対口支援等の地域間協力に依存しているだけでは、長期にわたる西部大開発の巨大プロジェクトを円滑に推進することは困難である。それゆえ、西部大開発においては、西部地域を対外的に開放し、海外からの投融資や国際協力等の支援の誘致が図られている。しかしながら、西部大開発事業の推進に伴って、人口移住によって少数民族の交錯が生じ、外国企業の投融資やNGOの活動が増加すれば、少 数民族地域の民族関係に様々な影響を与えることも予想される。長期にわたる西部大開発事業はまだ始まったばかりであり、現時点で事業の成否を評価することはできないが、中国の少数民族問題は、21世紀の東アジア政治経済体制を左右する重要な論点であり、民族関係の調整をめぐる諸問題を、法制度の面から検討しておくことにはそれ相当の意義がある。そこで本報告においては、西部大開発が民族関係に与える影響を考慮しながら、現行の民族法制が抱える課題を概観することを狙いとしている。現行の民族法制は、民族関係の調整機能の中に、渉外的諸関係の調整という観点を取り込んでおらず、発展概念も明確 に示されていない。それゆえ、援助、投資を行う側と中国側の双方が、10次5カ年計画で も採用されている「持続可能な発展(sustainable development)」へとパラダイムを転 換し、環境と開発の調和を実現しうるような人間開発に接近しながら、対外開放によって西部少数民族地域の民族関係を混乱させる事態を招かないように配慮し、不備の多い現行民族法制の変革に資金と時間を投下しながら、新たな民族法制の構築を推進すべきことが指摘される。

龍世祥(金沢経済大学)
「北東アジア地域の環境問題における中国の位置づけ」
 T 環境問題の特質と悪循環構造の展開
 北東アジア地域において多次元的に展開された悪循環システムを環境問題の視点で端的に示すと、一方、先進国の今まで経験してきた農村型環境問題、産業公害型環境問題、都市・生活型環境問題、地球型環境問題が、現在の北東アジアでは同時に重層的に存在しているのである。70代から日本を初めとして、「高度成長モデル」の東南アジアへの普及により、さらに中国の南方から北方へ急速に波及して形成した1つのアジア特有の「雁行型経済成長モデル」がその主因として考えられる。なお、環境問題の多重的深刻化を特質とする北東アジア地域の悪循環構造は中国において定着している。
 U 悪循環脱却と地域システムエコ化の傾向
 20世紀の末に至って、北東アジア地域において20世紀への反省として、冷戦構造の崩壊、国民環境意識の向上と、環境産業の拡大、特に環境協力の促進を中心とする地域経済エコ化が前世紀の末に始動され、今に至って前進している。民間、自治体間、2国間の環境協力事業が拡大しつつあり、多国間広域協力システムも同時に機能している。特に、2国間の実施型環境協力の拡大と多国間の協議型環境協力の具体化の接点となるのは3国間の実施型環境協力の始動である。その中には、「日中韓3カ国環境大臣会合」に基づく環境協力の進展が注目される。
  V 地域経済システムエコ化へのアプローチ
 地域経済システムエコ化に向かってアプローチする過程には、地域全体の実施型協力システムの母体を創出していくのは、現実的、効率的なのであろう。スタートしている日中韓三か国環境協力はそれとなりうると判断される。この中では、日本の中心的役割が期待されている。つまり、日本が先頭となり、環境産業を軸とし、日中韓の実施型体制を中核とする 「エコ型雁行モデル」の構築は北東アジア地域の重大な課題となろう。

武吉次朗(摂南大学)
「中国経済に占める民営企業の地位と役割」
民営企業の定義は中国でもまだ統一されていないが、「民営は国営の反義語」との認識から、国有国営以外をすべて(個人経営・私営・外資系・集団経営・国有民営および上記の混合体を含む)民営とするものが主流を占めつつある。本報告はこのうち非公有部分を重点とする。
 毛沢東時代に姿を消していた民営企業は、改革・開放期が始まるや農村および都市で再生し、特に92年以降急速に発展をとげてきた。あるデ−タによると、個人経営・私営・外資系の非公有制企業だけで、都市就業人口の40%、工業生産総額の39%、消費物資小売り総額の60%をそれぞれ占めている。このほかに、集団経営企業の2割前後が実は個人経営または私営だとされており(いわゆる戴紅帽子企業)、この要素を加味するなら比率はもっと大きくなる。さらにレイオフされた国有企業従業員の再就職受け皿、第三次産業の振興、地域経済の活性化、国民経済全般の構造改革などの面でも、民営企業ならではの貢献はきわめて大きい。このような実績を背景に、99年には憲法が改正され、「非公有制経済は社会主義市場経済の重要構成部分」と明記された。社会主義の制度内要因として認知されたわけである。
 国有企業の改革にともない、国有企業は国民経済の命脈を握る分野を中心に戦線を縮小していく。またWTO加盟にともない、より広範な分野に外資が進出してくる。これらの分野にまず民営企業の進出を認めることが決定された。新たな発展空間の開拓である。このためにも、設立登記・土地使用・貸付・税収・輸出入権・海外進出・上場などの点で国有と一視同仁に扱う方針も確認された。この方針に沿い、非公有制の民生銀行も設立された。いま注目されているのが、ハイテク産業分野での民営企業の活躍である。この分野には大学等の投資による企業も少なくないが、そこにストック・オプション等で個人資本がかなり入っており、国有と私有による混合経済の様相を呈している。それは中国経済全体の未来像を先取りしたものともいえよう。
 7月1日の中国共産党創立80周年祝賀大会で江沢民総書記は、私営企業家や自営業者の入党を認めることで「社会における党の影響力と凝集力を高めていく」と演説し、内外の注目を集めた。民営企業の発展は中国の近代化を推進しているだけでなく、中国の社会体制改革をも大きく促進していくわけである。21世紀中国経済のキ−プレ−ヤ−である民営企業の動向から、ますます目が離せなくなってきた感が深い。


文学歴史分科会          司会:青野繁治(大阪外国語大学)
内田尚孝(神戸大学大学院)
「1935年華北分離工作の展開と国民政府の対応」
 本報告は、日本の華北分離工作の展開とそれに対する国民政府の対応を日中双方の資料から明らかし、冀察政務委員会設置の歴史的意味を問うことを課題とした。
 従来、1935年8月4日、対州駅で起こったテロ事件(対州事件)については、簡単に触れられるのみで、その事件の重大さに注目する研究はほとんどなかった。しかし、同事件は幾つかの点できわめて重要な意味を有していた。第一に、事件が起こったのは北寧路沿線の対州であったということで北清事変最終議定書によっても、また戦区内であったということで塘沽停戦協定によっても処理することが可能であったが、陸軍中央は「梅津何応欽協定」にもとづいて支那駐屯軍が事件解決にあたるよう指示した。第二に、事件を受けて国民政府は北平政務整理委員会の廃止を決定するとともに宋哲元(第二十九軍長)を平津衛戌司令に任命したが、これは軍事力を持たない政治・外交機関による対日交渉がもはや限界に達していたことを、そして華北問題が一層軍事化したことを意味していた。
 「多田声明」以降の露骨な華北分離工作は、対州事件の責任を中国側にとらせる形で進行し、この過程で日本側は、「申合」、「了解」、「誓約」などと呼んできた何応欽による日本側要求受諾を「梅津何応欽協定」と称するようになり、その法的拘束力を中国側に認めさせようとした。国民政府は、華北将領との連絡を強化するとともに、行政院駐平弁事長官公署設置案と冀察政務委員会設置案を策定し、最終的には後者の設置によって華北分離工作に対処した。日本側は当初、「北支五省連合自治体」の樹立を掲げていたが、河北一省を国民政府から分離することさえできず、結局、塘沽停戦協定締結以降2年以上にわたって中華民国の主権を制限し日本軍が政治的軍事的影響力を行使してきた戦区に「冀東防共自治委員会」を発足させることしかできなかった。これは、華北を容易に分離することができるという日本側の対中認識の誤りを意味していたが、日本は、華北分離工作を通して華北地域に非公式外交空間を拡大、固定化させた。他方、国民政府は幣制改革を断行するととともに憲法草案公布、国民大会開催などの政治プログラムを決定し、経済的政治的統合を着実に前進させていた(公式空間の拡大)。この公式空間と非公式空間の鋭いせめぎあいの中で成立したのが冀察政務委員会であった。


木村(岡部)泰枝(関西大学大学院)
「傅雷の評した張愛玲の小説『金鎖記』」
  傅雷は1944年5月『万象』第3年11期に迅雨の署名で「論張愛玲的小説」を発表し、
「前言、一金鎖記、二傾城之恋、三短篇和長篇、四結論」の構成で特に「金鎖記」、「傾城之恋」、「連環套」を取り上げて批評を加えた。その中で、張の最高傑作と評した「金鎖記」が『猟人日記』に似ていると述べており、今回の報告では、その意図を考える前段階として、傅雷が当時影響を受けていたロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』との共通点から傅雷の「金鎖記」の読み方を検討した。
 「金鎖記」の評価を総括した際、傅雷は『猟人日記』のなかのいくつかの物語と頗る似た感じがする、と述べた。この『猟人日記』は中国大陸のほうではなぜか「狂人日記」、それもゴーゴリーの「狂人日記」ではなく魯迅の「狂人日記」に誤読されて論じられている系譜がある。しかし、傅雷が指摘したのはツルゲーネフの『猟人日記』であり、農奴を描いて階級的な観点を持つと評されるこの作品と、「前言」で主義よりも「技巧」と「芸術」に目を向けると芸術至上主義的な批評を主張した傅雷の本文とはいまひとつつながりがわるい。そこで、もう一度批評の内容の検討を試みることにした。
 主人公の内面を重視した読み取りであること。また、あってはならない人生の悲劇を描いたと読んでいること。主題を、金欲のために金持ちの姜家に身売り同然の結婚をした主人公が、それでも人間らしく生きようと「闘争」するが、結局自分の内面の熱狂をコントロールすることができず、自分の周囲の人間も巻き添えにして不幸になっていく、と読んだことが分析できた。この読み方は、ロマン・ロランの文学に見られる価値観を投影しており、張の「金鎖記」は、このような読み方にもたえられる構成であったということができるだろう。しかし、この読み方はすぐに『猟人日記』につながってゆくものではなく、今後の課題として傅雷が左翼文芸批評をどのようにとらえていたのか、それとの距離を測らないと傅雷の本当の意図は見えてこないと考えられる。
 最後に、考えるヒントとなる質問をしてくださった瀬戸先生、悲劇という読み取り方についてアドバイスをくださった青野先生、最後まで拙い発表を聴いてくださった聴衆の皆様に感謝します。

宇野木洋(立命館大学)
「20世紀末中国における『後学(post-ism)』
                ――欧米の現代思想・文化理論受容の一側面――」
■20世紀末中国の文学・文化理論領域においては、一時期、「後学」という言葉が流行し、「後学」論争とでも呼ぶべき状況さえもが出現したと言える。今回の報告では、「後学」をキーワードとした問題状況を手がかりに、いわゆる「西方」現代思想・文化理論の受容動向の一側面を検討してみた。この作業を通じて、「全球化」が進む21世紀中国の文学・文化理論領域の課題といったものを浮き彫りにできるかもしれないとも考えたのだが、そこまで明確に問題を整理するまでには到らなかった。力量不足をも実感している。
■北京の学術圏で嘲笑的に用いられていた「後学」という言葉を、初めて公の場で活字化しキーワードとして定着させたのは、趙毅衡「『後学』与中国新保守主義」(『二十一世紀』総27期=1995年2月、香港中文大学・中国文化研究所)である。では、「後学」とは 何を指すのか。1990年代初頭以降の文化・理論領域を席捲している「西方」から流入してきた「後植民主義(ポストコロニアリズム)」「後現代主義(ポストモダニズム)」「後結構主義(ポスト構造主義)」といった「後」という接頭辞を関した理論・思想の総称である。趙論考では「post-ism」という訳語を当ててもいるが、当然ながら中国語圏の造語である。
■趙論考の主旨は、「西方」現代思想そのものに対して一定の理論的批判を加えた上で、中国の「後学」論者の理論的営為、即ち、「後学」に依拠した同時代中国社会・文化に対する分析には、「新保守主義」的傾向が存在していると批判した点にある。趙論考には、「西方」現代思想理解の単純化(十把一絡げ的批判のアバウトさ)や、「後学」論者の範疇の妥当性(いわゆる「民間」概念の導入や「新国学」的研究動向をも「後学」に含んで一律に批判する態度)など、幾つかの問題点も看取できるし、また「知識人=エリート」という立場に象徴される啓蒙主義的発想に辟易させられる部分も存在するが、だが、中国の「後学」論者たちの「危うさ」に対する批判という点では、確かに興味深い問題提起となっているように思われる。本来はラディカルな社会・文化批判の理論・思想であったものが、中国では「後学」と化して、大衆文化を無条件に肯定する理論的根拠や、「民族主義」を強調する「官方」の主張を文化的角度から補強する体制擁護の言説となってしまい、中国の現実が直面している問題を回避する役割を担うに到っているという指摘は、「後学」論争を通じて、少なくとも「後学」論者の一部には確かにそうした傾向が存在することが、明らかになったのではないだろうか。ただし、その背景には、1980年代後半の「文化熱」に対する挫折(「六四・天安門事件」の勃発)と、「五四・新文化運動」がいわば戦略的に選択した「全盤西化」に対する評価の問題が伏在している点は、忘れるわけにはいかないだろう。
■「後学」をめぐる問題状況は、「西方/中国」という二項対立を如何に乗り超えるか、という古くて新しい課題のヴァリエーションという側面もないわけでないが、「オリエンタリズム」(E.サイード)に端を発したポストコロニアル的な言説が正面から議論の対象とされたことにより、今後、新たな議論の展開を導き出す一歩になるかもしれない。


○特別講演
             「ブッシュ政権の東アジア政策」
                           村田晃嗣(同志社大学法学部)
 ジョージ・W・ブッシュ政権が成立してから半年が過ぎた。この政権の外交政策の全容はまだ明らかではないが、いくつかの特徴はすでに輪郭を現している。
 まずはその保守的な性格である。選挙期間中、ブッシュ陣営は「思いやりのある保守主義」を標榜した。これは保守から中道にウィングを広げることで幅広い層から支持を調達するための戦略であり、クリントンの選挙戦略の模倣であった。しかし、共和党の大統領候補争いの過程で、ジョン・マッケイン上院議員が改革者として登場し中道の支持層を簒奪したため、この路線は名のみを残して破綻した。結局、ブッシュは共和党保守派の組織票に頼らざるをえなくなった。次の大統領選挙でマッケイン再出馬の可能性がある以上、この保守寄りの路線は変わるまい。そもそも、父のブッシュ元大統領が共和党保守派の離反で再選を果たせなかったという教訓もある。
 ところが、連邦議会では共和党と民主党は伯仲している。上院では、共和党は最近過半数を喪失した。ブッシュ政権が保守派寄りの路線を採れば採るほど、民主党との協調は困難になろう。また、アメリカ経済が失速すれば、こうした内政上の対立はより直裁に外交政策にはねかえってこよう。
 政権内の人事でも保守派が主流を占めている。ディック・チェイニー副大統領をはじめ、ドナルド・ラムズフェルド国防長官、ポール・ウォルフォビッツ国防副長官らは、その代表格であり、軍事力の強化を熱心に推進している。外交政策の実務レベルでも、中国に対して厳しい見方をする「ブルー・チーム」が多く、対中協調路線の「レッド・チーム」はほとんどいない。いわゆる知日派が多数登用されているのとは対称的である。
 これまでの外交案件への対処では、米中軍機衝突事件でも台湾への武器売却決定でも、コリン・パウエル国務長官やリチャード・アーミテージ国務副長官らの穏健保守派がバランサーの役割を果たして、中国を過度に刺激しない配慮を示してきた。こうした国務省首脳の路線と国防省を中心にしたより強硬な路線がアプローチの差の問題なら、ミサイル防衛構想の本格的な進展や今年後半に発表される予定の米軍の兵力見直し計画などを通じて、両者は収斂されていくであろう。逆に、両者の間にイデオロギーや戦略観で深刻な違いが存在するなら、それは政権の外交政策を大きく混乱させるかもしれない。


○シンポジウム「中国の西部大開発ー21世紀のスプリングボードとなるか」
司会:南部稔(神戸商科大学)
経済:石田浩(関西大学)   ディスカッサント:上原一慶(京都大学)
環境:北川秀樹(京都府庁)  ディスカッサント:大西広(京都大学)
民族:王柯(神戸大学)    ディスカッサント:佐々木伸彰(大阪市立大学)

全体総括
南部稔(神戸商科大学)
 中国政府は以前から西部の開発には強い関心を示してきた。毛沢東は1956年に発表した「十大関係論」のなかで西部開発の理念を提示し、また1960年代後半の「三戦建設」では軍事的背景から中西部への重点建設が行われた経緯がある。
 しかし、今日いわれている「西部大開発」は市場化、国際化のなかで推し進めて行こうとするもので、計画経済・閉鎖経済の下でのそれまでのものとは大きく変わり、そしてまた20年間に及ぶこれまでの改革・解放政策の転換をも意図したものだともいえる。それは国外経済情勢の悪化から外需に大きく依存できなくなってきたこと、国内の消費需要がとくに内陸部で伸びていないこと、WTO加盟に伴い経済構造の転換が迫られるようになってきたことから、中国経済がさらに持続的な成長を実現していくための戦略として西部大開発が浮上してきたといえる。もちろん経済格差の縮小、環境の保全、民族問題の解消といったことがこの構想の現実的な背景になっていることはいうまでもない。
 こうした理解の上に立って、司会者はシンポジウムの各報告に対して次のような期待を持って聞いた。石田浩報告では、西部地区内にも東西問題が存在しており、その緩和が西部開発にもつながることはいうまでもなく、そのためには重慶(成都、西安などもそうである)のような大都市の存在は大きく、そのエネルギーが周辺農村部に及んで発展のダイナミズムを生み出しうるようになるのかについてであった。北川秀樹報告では、西部大開発の理念として掲げられている重要な点は開発と環境を両輪にしているところにあるが、往々にして矛盾しがちな両者を両輪としたことの崇高な意図は分かるとしても、問題は西部地区でそれをどのようにして実現しようとしているのかについてであった。王柯報告では、民族問題で揺れている西部地区における中央政府の開発戦略が少数民族にどのように理解されているのか、もしこの戦略が実施されて物質的に豊かになればそれで彼らの不満は解消するのか、また歓迎されざるものならばどのような開発を彼らは希求しているのかについてであった。
 政府の西部大開発戦略はまだ茫漠としているため、具体的に議論を展開していくことは難しいにしても、今回の報告ではいずれも中国に存在する事例をたまたま西部地区に焦点をあてて議論したという点では不満が残った。西部大開発戦略はこれまでの改革・解放政策の下でとられてきた戦略とは違い、市場ベースでは難解と思われる戦略をどう実現しようとしているかといったことについての戦略的アプローチの糸口となるようなものについてのなんらかの言及があってもよかったのではないだろうか。もちろん、この戦略はもともと長期にわたるだけに、現時点で全容を求めることはできないので、今後は会員各位の協力を得ながらこの分野の研究がさらに発展していくことを願っている。

 石田浩(関西大学)
「西部大開発と農村・農民・重慶農村の調査分析・」
 「西部大開発」地域は広大な面積を抱え、その社会経済的条件は大きく異なり、その結果、開発施策は地域によって大きく異なる。西部大開発が単に道路や鉄道等の公共建設投資だけであるのであれば、地域的条件をあまり顧慮する必要はないが、貧困農村にまで手の届く開発を実行しようとするのであれば、木目の細かい施策を打ち出さなければならない。そのためには、対象地域の具体的な賦存条件を理解し、如何なる開発政策が有効なのかを研究する必要がある。
 本報告では重慶市を取り上げた。重慶市といっても面積は北海道と同じで人口が3100万 人と、九州と同規模面積の台湾 (人口は2200万人) よりも大きいのである。筆者が実態調査を行った農村は社会経済条件がそれぞれ異なり、どの農村も1戸当たり経営面積は僅かで、農業生産だけで生存は不可能である。それゆえ、人民公社解体とともに余剰労働力は一挙に顕在化し、1980年代中頃から沿海大都市への出稼ぎが始まった。
  同じ重慶市に属する農村であっても、都市近郊の国有大企業が存在する農村では民営
企業が発達し就業機会も幾分多くなるが、交通の便の悪い山村では郷鎮企業や個人企業
さえも存在せず、農村余剰労働力の60〜70%が沿海大都市へ出稼ぎに行っているのが実情である。
  西部大開発はこのような山村の貧困構造をどのように解決するのか。西部大開発に関するスローガンや政策アドバルーン、論議は姦しいが、どのような政策が重要であり必要であるのか、そして具体的にどのような効果があったのか、農村側からは一切語られていないのが実情である。
  少数民族問題についていえば、沿海地や大都市に住む漢人ではなく、そこで生活をする少数民族がその実情や問題点について語る必要があるのと同様、内陸農村の農民たちが自らその実情が語ることにより、その現実が理解できるのであり、解決策も見出され得るである。それを抜きにした政策は机上の空論に過ぎない。
  以上の点を考えると、華々しきスローガンに比較して、西部大開発はまだ始まったばかりであるとしても具体性に乏しく、開発は沿海企業の市場開発に過ぎなく、資本主義の文明化作用のごとく、市場経済化が未開拓の内陸農村を包み込むためのフロンティアの拡大に過ぎないのかもしれない。
  新中国成立後50年間にわたり農業・農民を軽視してきた「軽農重工」政策と同様、貧困農民は取り残されることになりそうである。貧困農村は現状を維持しつつ若年人口の流出により高齢化社会を迎え、自然消滅して行かざるをえないというのが筆者の考えである。今後とも内陸貧困農村での継続調査を実施することで、本研究の深化を図りたいと考える。

北川秀樹(京都府庁地球環境対策推進室)
「西部大開発と生態環境の保全」
中国の環境問題は、@工場からの排水等による産業型公害、A廃棄物や自動車の排気ガスによる都市生活型公害、B毎年神奈川県に相当する面積の砂漠化の拡大に代表される生態環境破壊など、複雑さ、深刻さを増しつつある。特に、西部地域は自然的要因もあり、北部を中心に砂漠が広がり水資源の少ない状況にあることに加え、人口の増大と貧困から生活のための森林の伐採や薬草等の採取が盛んに行われ、無秩序な水利用により河川の断流や湖沼の枯渇も顕在化している。
  西部大開発では、政府はインフラの整備に伴う生態環境の保護と建設に重点を置き、植樹植草、水土治理、砂漠化防止、退耕還林を進めることとしている。解振華国家環境保護総局長は、2000年8月に談話を発表し、西部大開発では環境を犠牲にして経済を発展させるという従来のパターンを超越した「跨越式発展」を図るとし、環境意識の高揚や行政の環境監督の強化、環境保全分野への投資の拡大、外資や先進技術の導入を訴えている。
西部大開発では、道路建設、天然ガスの西気東輸、西電東送などの大規模プロジェクトが計画されているが、自然環境の状況を的確に把握し、適切な環境影響評価の上に立って事業化していく必要がある。残された貴重な生態環境を保護するとともに、深刻に破壊された生態環境を再び回復していくには、数十年にわたる長期的な視点が必要である。
  西部の生態環境の破壊は、自然要因と並んで人口増大と貧困という背景があることをふまえ、砂漠化・砂嵐、水土保持、動植物保護等の生態環境の保全のためには、農民の生活と現地の生態に適した森林の拡大と水資源の秩序ある管理が最も有効であると考える。そして、この実効性を高めるためには、まず、地方政府における縦割りの弊害(日本よりも甚だしい)を克服し、政府指導者のリーダーシップのもとに関係部局からなるチームを編成し総合的に対処すること、次に、環境調査と情報の公開、環境教育の推進、環境基金設置など集中的な資金導入と管理の仕組みの創出が不可欠である。

王柯(神戸大学)
「西部大開発と民族----経済発展と少数民族の文化伝統、権利との視点から」
 中国の少数民族は、朝鮮族、高山族、およびツングース系民族の満、オロチュン、エヴェンキ、ホジェン族を除いて、ほとんどが西部地域に居住している。言うまでもなく、西部大開発は民族問題の解決という着想から出発したものでもある。しかし、「民族」という側面で西部を見る場合、地域的には少なくとも6つの地域に分類できる。
1、陜西省、四川省と重慶市;2、雲南省、貴州省、広西チャン族自治区と二つの自治州;3、寧夏回族自治区と甘粛省;4、内モンゴル自治区;5、新疆ウイグル自治区;6、チベット自治区と青海省。この6地域は、自然環境にも関係するが、産業経済の構造という側面から見ればそれぞれの特徴をもっている。あきらかに、生産環境が厳しい地域ほど、非漢民族人口の比率が高く、経済発展も遅れ、そして現地民族のなかに中国という国家意識が薄い人が多い。
「西部大開発」が現地社会にいかなる影響をもたらすかといえば、まず注目すべきことは、他の地域、とりわけ中国内地との交流の拡大であろう。カネ、モノ、そしてヒトの移動が激しくなることは言うまでもない。外部社会と交流するチャンスの増加について心配されたのは、民族社会の弱体と伝統文化の崩壊であった。
「伝統文化の継承」というスローガンにしろ、「伝統文化に対する破壊」という非難にしろ、分析もせずに受け入れるべきものではない。一定の文化は一定の社会構造に基づいて形成され、その構造の変動にしたがって変化するのも当然であろう。伝統文化の不断の破壊と新しい文化伝統の不断の創造は、人類社会にとって必然の営みである。あらゆる
「伝統」の文化は「近代」の社会に生き延びることはできない。
とはいえ、伝統文化の破壊を危惧している人は、どの民族にも存在し、とくに第4、5、6の地域において、「民族抑圧」というフレームで「西部大開発」を見る人も必ず存在す る。開発はその初期の段階において、必ず人々に不平等・不公平を感じさせるからである。このような不平等・不公平が民族の境界と一致すれば、それは容易に民族対立の感情を煽ることになる。
だからといって、開発を止めるにはいかない。なぜかといえば、開発を進めることは、現地民族の根本的利益に一致するものである。開発の初期段階に現れた民族間の不平等と不公平は、基本的に地域間の経済的格差に関連する問題であり、それは開発が進められるにつれて解消できる問題である。逆にいえば、放置すればするほど、このような「東西格差」が開かれる。開発が遅れれば遅れるほど、このような「民族間」という意識を強めることになる。


☆西日本部会春季研究集会
        --21世紀中国の幕開け
  設立2年目に入った西日本部会では、「21世紀中国の幕開け」と銘打った研究集会を本 年2月24日(土)、福岡大学セミナーハウスを会場として開催した。当日は香港中文大学 の楊鍾基教授を招聘して「回帰以后的香港文化界」と題する特別講演を依頼し、その後、若手研究者による次のような題目の研究報告を行った。
   @間ふさ子(福岡中国映画会)「ニューウェーブ以後の台湾映画界」
   A金縄初美(西南大学院生)「モソ人の婚姻とその変遷」
   B阪田完治(九州大学院生)「反抗的大衆との闘争−中国の法輪功事件」
 楊氏の講演は、中国復帰後の香港文化界の現況を、その渦中にある文化人の立場から詳細に分析したもので、一見変化のないように見える香港の文化界が、微妙に変わりつつある実態と、それに対する香港文化人の複雑な思いが、多くの具体例や巧みな比喩によって語られた。福岡大学講師の張翌瞳女史が見事な日本語による通訳を担当した。
 第一報告者の間さんは、この十数年来、福岡市内で中国映画の上映活動を推進しながら、台湾の映画についても研究を続けてきた人で、その実績をふまえた研究成果を豊富な資料を駆使しながら報告した。
 第二報告者の金縄さんは、雲南省を初めとするモソ族の居住地に入って実施した調査の結果を分析しながら書き上げた論文を下敷きに、貴重な資料を提示しながら研究報告を行った。
 第三報告者の阪田氏は、もと西日本新聞社の北京支局長を務め、最近まで同社の論説委員という立場から中国に関わってきた人であるが、現在は新聞社を引退して大学院生として第二の出発をする異色の研究者である。
 以上の3名はいずれも西日本部会の設立に前後して新入会員となった新進気鋭の研究者 である。研究報告集会には一般参加者も含めて60名ほどが参加、会の終了後にもった懇親会にもその半数近くが参加した。


☆新入会員自己紹介
 前号以後に入会された新入会員の方から寄せられた自己紹介です。掲載は順不同です。

吾妻智子(大阪外国語大学大学院言語社会研究科博士後期課程:中国現代文学)
 私が現在、研究しているのは、中国現代文学初期に小説、詩、散文などを書いた廃名という作家です。周作人の大きな文学的影響を受けながら創作活動をおこなった廃名は、
「文学とは夢である」という文学観にもとづき、長編小説『橋』に代表される、イメージの喚起力の豊かな独特の文体の小説で知られています。廃名は、その文体の特異さ、難解さのために、けっして多くの読者に理解され共感された作家ではありませんが、その表現における試みは民国期から一部の批評家たちに高く評価され、また沈從文や汪曾祺ら後の作家にも少なからぬ影響を与えたといわれています。いくつかの作品は、今読んでも不思議なほど古さを感じさせず、「生きた文学」として新鮮な輝きを放っています。中国現代文学を「表現史」の視点からとらえた場合、廃名はかなり重要な意味をもつ、興味深い存在だと思われます。
 廃名の文体の形態的特徴については1920,30年代からすでに多くの点が指摘されていま すが、今後はその背景にある廃名自身の方法意識や、それが文学史の流れとどのように関りながら生まれたものかを明らかにすること、さらに、文体的特徴が作品における意味生成とどのように関わっているかなどを見ていくことが必要だと感じています。また、その文体もけっして一様ではなく、作品と時期によってかなり異なっているため、それがどのように変化、生成していったのかを通時的に検証していくことも重要だと考えています。

賈笑寒(大阪外国語大学大学院言語社会研究科博士後期課程:郭沫若日本留学期の文学)
 はじめまして、このたび入会させていただきました賈笑寒です。中国の文学者郭沫若の日本留学期の文学を研究テーマにしております。
 日本に来るまでには、日本の近代文学を専攻していましたが、日本に来て、一留学生となってから、およそ80年前に留学生のグループとして日本で文学活動をスタートした創造社の文学になんとなく目を向けるようになりました。時代が変わったとは言え、当時の彼らの文学には、今でも新鮮に感じられるものが多いと思います。
 創造社の文学活動がほかではなく日本で発足したことは、日本文学の影響を有形無形に受けざるを得なかったと思います。彼らの文学が大正期の日本文学から受け取ったものは何か、彼らの文学と日本文学との間にどのようなズレや断絶が認められるか、などは、日中両国の文学の間の問題としても、とても興味深いものであると思います。創造社の主要メンバーの一人である郭沫若の日本留学期の文学を研究することによって、これらの問題を考えていきたいと思います。
 会員の先生、先輩方にはご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

久野輝夫(山本学園専門学校:環境・経済・民間交流)
 専門学校で中国語と流通経済を担当、文化センター等でアジア経済事情を担当。専門は中国語、中国事情(環境、流通)アジア経済関係です。所属学会は日本環境社会学会、中国学会、日中関係学会等。中国北京対外研究中心、香港国際華僑学会の客員研究員等。国際観光学専門士、中国語専門士。
 中国との関係は1980年に天津に留学したことからです、パスポートの中国出入境のスタンプは20年間で、150個になりました。1982年から商社で、化学品(農薬)機械、輸出、 薬品、食品、繊維、水産の輸入、合弁、無償寄与の業務を担当、北京、香港の駐在生活の後、1991年、中国の開放政策の流れに乗り独立、日本と香港に貿易会社、海南島、天津、南通、山東、河北に合弁会社を作りました、現在はすべて股イ分公司と改組織して中国側 に経営権を譲渡、股イ分理事をしています。現在は希望工程をNPOで進めています。
 中国と直接対話し、結果を中国の社会に反映することができる研究者を目標とし、現在 、愛知大学の現代中国学部、 加々美ゼミの学生としても籍をおいています。
 中国の経済、環境、社会分野で実務者の立場です、研究者としては未熟でありますが、機会がありましたら諸先生からの研究の指導の程よろしく、お願いいたします。
今秋に拙著『戦後・日中民間交流史』が刊行予定。

齋藤俊博(神戸大学大学院総合人間科学研究科前期課程:中国近現代史)
 現在1930年代の北平を対象に抗日運動と抗日論の推移を主に追っています。具体的には北平で1924年から37年まで発行されていた『世界日報』という新聞を使用しています。
 北京『世界日報』は成舎我という人物が1924年に創刊した地方新聞です。1924年から37年までの13年間と45年から49年までの4年間の合わせて17年間にわたって発行されました 。当初は5000部ほどでしたが1930年頃から徐々に部数を伸ばし始めて,最盛期の37年には2万部を越えていたと言われています。1930年に1万部を越えて以来,北平においては常に一,二を争う発行部数でした。当初は国民党の政策に沿う主張を展開していましたが,柳条湖事件以降は抗日の色彩を強めて,1930年代前半には国共の内戦反対と党派を超えて一致して抗日に向かう必要性を訴えるようになりました。
 従来この時期の抗日運動の研究は上海が中心か,あるいは北平の一二・九運動などを通して語られることが多かったのですが,それ以前の段階にも広範に展開されていた抗日の動きとさまざまな議論について,北平を例にとって詳しく見ていこうと思っています。
 よろしくお願いいたします。

桜井次郎(名古屋大学大学院国際開発研究科博士後期課程:中国環境政策)
名古屋大学大学院博士後期課程3年の桜井次郎です。
中国環境政策の柱である排汚費制度について、主に法政策学の視点から研究をすすめております。
中国の排汚費制度は、環境政策における経済的手法の一例として国際的関心を集めております。しかし現実には多くの問題点を抱え、中国の研究者のみならず環境行政内部からも本格的な制度改革の必要性が指摘されております。中央政府は98年に同制度の改正案をまとめ、同年より抗州市、吉林市、鄭州市の3都市においてこの改正案の先行実施が試みら れております。
本研究は、従来の排汚費制度について指摘されてきた問題点、政府改正案の具体的内容、及び改正案が作成された背景について考察し、さらに政府改正案が試験的に実施された3都市における現地調査結果の分析を通して、制度改革に期待される効果と今後の課題について明らかにしようとするものであります。
今後は排汚費制度改革についての考察をさらに深めると同時に、汚染被害者による汚染差止・損害賠償請求が環境行政に与える影響を重視する視点から、中国における環境紛争処理についての調査・研究も進めていきたいと考えております。
会員の先生、先輩方にはご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

菅原慶乃(大阪大学大学院言語文化研究科博士後期課程:中国映画)
 このたび入会させていただきました菅原慶乃と申します。「両岸三地」の現代映画文化および知識人の問題に関心があり、現在は製作・市場・批評(知識人問題)における三地の結びつきにかんして博士論文を準備しております。
 実は私は中国語・中国文学関係の学部・学科に所属したことがございません。大学時代は、立命館大学国際関係学部で現代芸術・メディア論・地域研究論等を学び、ゼミでは比較文化論を批判的に検討し再構築する方法や考え方を教わりました。丁度このころ、日本のごく一部ではありましたが、「アジアン・ポップ」という名で「両岸三地」の音楽・映画などが世間で話題となっておりました。もしかしたら、現在の研究テーマを始める原体験になっているのかもしれません。大学院修士課程から現在の研究科に移り、まずは1980年代の「文化熱」を足がかりとして当時の知識人界の解読を試み、拙いながらも修士論文を提出いたしました。
博士課程に進学し半年在籍した後に、1998年夏から2001年3月まで北京に留学いたしました。大学院に入ってから本格的に中国を「研究」しはじめた私にとって、実際に中国で生活することは毎日が興味深く、大変濃密な内容の留学となりました。また、香港や台湾の映画研究者の方々とも接する機会もあり、非常に大きな刺激を受けました。本業以外では、北京外国語大学内にある「北京日本学研究センター」でアルバイトをさせていただいたことで、日本・中国の様々な分野の研究者の方々と接することができました。
留学中は大学院を休学していましたので、現在は実際は博士課程1年次あるいは2年次という扱いになりますが、事務上ではすでに3年次扱いとなっております。論文提出までまだ1年以上の時間があるのですが、「3年次」という名義は良い意味で大変プレッシャーとなります。入会を機に、皆様と接する機会を多く持ち、ご指導・ご鞭撻いただきたいと思っております。なにとぞよろしくお願いいたします。

田中剛(神戸大学大学院文化学研究科博士後期課程:モンゴル近現代史)
 このたび、入会させて頂きました田中剛と申します。
私が研究対象としているのは1930〜40年代の内モンゴルです。とくに、「蒙疆政権」に焦点をあて、内モンゴルをめぐるモンゴル・中国(漢)・日本の協調・対立関係を明らかにすることが研究目的です。
「蒙疆政権」については、徳王との関連で論及されることが多かったと思うのですが、現在なお、その全体像が十分に解明されたとは言えない状況であると思います。そこで、
「蒙疆政権」下の内モンゴルで実施された軍事政策・経済政策・教育政策などの具体的政策を取り上げ、それによって引き起こるモンゴル社会・民衆意識の変容に注目しつつ、
「蒙疆政権」を多面的、かつ立体的に把握していきたいと考えています。
「蒙疆政権」の実態に少しでも迫ることができたならば、近現代内モンゴル問題の理解だけでなく、日中戦争と中国民族問題との関連を考える上でも、示唆を与えてくれるのではないかと考えています。
会員の先生、先輩方には、ご指導ご鞭撻たまわりますようお願い申し上げます。

西槙偉(愛知県立大学外国語学部中国学科:比較文学)
 みなさま、はじめまして。どうぞよろしくお願いします。
 今までは李叔同、豊子師弟を通して、民国期の西洋美術受容を研究してきました。日本との関わりが深いこの二人は、どのように日本経由で西洋美術を受け入れたのか、という問題です。
 具体的に例をあげると、まず「日本を通して受け入れた中国のゴッホ・イメージ」について。豊子はゴッホの伝記『谷訶生活』(1929)を書いているのですが、それは黒田重太郎の著作(1921)に依拠したもので、両者を比較検討するとゴッホ・イメージの変容と共通点がかなり明確に現われます。ゴッホは宗教信仰が篤く、人格者である、ゴッホの絵画制作は即興的で、彼には文学趣味があった、などの点は共通しています。しかし豊子の伝記では原作にあった絵を売ろうとするなどの記述が省かれ、絵画制作が非営利的な行為として書かれています。また、ゴッホが石膏像を打ち砕くエピソードが豊子によって繰り返し強調されますが、それは技法の習得を嫌うゴッホ、学ぶ必要がない天才ゴッホを際立たせます。つまりゴッホは文人画家の素質を備え、豊子によって文人画家としてのゴッホ像が一層明らかになっています。
 しかし、これは決して豊子の誤読ではなく、黒田重太郎の原作にそうしたイメージがすでにあったのです。当時日本の美術評論のなかで、セザンヌやゴッホといった画家を東洋的な表現主義を体現した画家としてとらえる動きがありました。西洋美術がたどりついたのは東洋的な表現主義だ、という誤読が日本から中国に伝わりました。これを根拠にやがて日本では西洋に対する東洋の優位が、中国では西洋や日本に対する中国の優位が主張されました。豊子が書いた「中国美術在現代芸術上的勝利」(1930)もそうした文脈のなかにあったものです。
 密接に関わり合う日本と中国の近代における西洋美術受容の諸問題をこれからも考えていきたいと思っています。
 比較文学の学会で発表してきましたが、幅広く研究されているみなさまとの交流で新たな視点などが得られたら、と期待しています。

龍世祥(金沢経済大学:中国の環境産業と環境協力)
 この度、入会させていただきました龍と申します。
 大学では「環境経済学」と「環境循環論」などの科目を担当していますが、ゼミにおいては「環境産業論」をゼミの中心課題にしております。その応用としては、中国の環境産業と中日環境協力が一つ研究テーマとなっています。
 20世紀の90年代に入ってから、世界全体においては、環境産業が経済成長率を上回った速度で拡大しています。その中では、中国においても、高度成長の倍以上のスピードで環境産業が成長していると言うことであります。ところが、その規模、その内部構造、その他産業との連関効果、及びその政策環境などにはまた多様な課題が存在しています。その中、環境産業技術を中心とする環境協力の展開によるその国際的格差の是正がさらに肝心なテーマとなっています。
  とはいえ、この現実には重要な論点が示唆されています。つまり、経済成長を目指すと同時に、環境産業の発展を重視しなかったのは先進国をはじめとする世界経済の経験していた教訓であります。 深刻化している環境問題の産業構造的要因はそこにあると考えら れます。環境、資源、人口、社会等の多種多様な課題を抱えながら、持続可能な発展を模索している中国にとっては、環境産業を一つ新しい主導産業として育成して、産業構造の高度化と調和化を図っていくのはその成功の与件となっていると考えています。
 これからは少なくとも北東アジア地域の環境協力の問題も視野入れながら、中国及び環境産業を切り口にして環境経済問題を研究していきたいと考えていますが、どうぞご指導の程、よろしくお願いします。

事務局短信
全国大会関西部会プレ研究集会近く開催
 本年の全国大会は10月20日(土)・21日(日)の2日間、大東文化大学(板橋校舎)で開催され、共通論題は「21世紀グローバリゼーションとナショナル・アイデンティティー新『中体西用』論」である。
 関西部会からは大西広(経済)・砂山幸雄(文化・知識人)両会員が報告するため、昨年の経験をふまえ大会の成功にむけて関西部会でプレ報告研究集会を次の要領で開催することとした。
1.日 時:2001年9月21日(金) 午後1時30分〜午後5時
2.会 場:大阪市大文化交流センター・ホール(大阪駅前第四ビル、16F)
  ※JR大阪駅下車、御堂筋を南に徒歩10分程度
3.報 告:(1)大西 広(京都大学)
 「経済学・統計学における西側科学の流入とその問題点」(仮)
      (2)砂山幸雄(愛知県立大学)
 「中国知識人はグローバル化をどうみるか」(仮)

現中学会ホームページ(HP)近く開設
 日本現代中国学会にはこれまでホームページがなかったが、近く開設されることになった。六月二日開催の関東理事会で村田忠禧理事よりホームページ開設の必要性が提起され、村田理事の呼びかけにより谷垣真理子(東京大学)、土田哲夫(中央大学)、宮尾正樹(お茶の水女子大学)、村田忠禧(横浜国立大学、以上関東部会)、瀬戸宏(摂南大学、関西部会)、新谷秀明(西南学院大学、西日本部会)の六名によるワーキンググループが六月中旬に立ち上げられた。電子メールによる討議を経て、ひとまず村田忠禧氏のサイトに試行版を暫定開設し、全国大会時に開かれる全国理事会・総会で正式決定の後、国立情報学研究所のホームページサービスサイトに正式開設することとした。この方針は、関西理事会(六月三十日)、関東理事会(七月七日)、西日本理事会(七月二十日)でそれぞれ承認された。ページには、関西部会ニューズレターのバックナンバーも掲載される。
 試行版ページは、早ければ七月末にも暫定開設の予定。アドレスは次の通り
http://homepage2.nifty.com/t-murata/

現中学会全国ニューズレター(会報)発行、全国理事会・総会で決定へ
 関西部会ニューズレターは昨年三月創刊以来、関西部会の活性化に大きな役割を果たしているが、この四号より西日本部会の申し入れにより関西・西日本部会ニューズレターとなるのを機に、全国ニューズレター発行を実現できないかという意見が関西事務局で出された。六月二日開催の常任理事会で討議した結果、全国ニューズレター(会報)発行を前向きに検討し、全国理事会・総会で発行を決定することになった。
 全国ニューズレター(会報)は関西事務局が全国事務局の委託を受けて編集発行し、関西部会ニューズレターの号数を引き継ぎそれを発展させたものになる予定。東京、西日本にも編集委員を置き、関西在住の編集責任者を補佐する。配布については、これまで通り紙媒体を全員に郵送するか、条件のある会員には電子メールで送付するか、検討中。

☆編集後記
●毎日暑い日が続いておりますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。ニューズレターも、今号で四号となります。ニューズレター発行が関西部会活性化に果たした役割は、大きなものがあったと思います。関西部会研究集会はここ数年、百名近い参加者が続いていますが、これもニューズレター発行と無関係ではないと思われます。●今号より名称が関西・西日本部会ニューズレターとなりました。別項で記したように、秋の全国理事会・総会で承認されれば、全国ニューズレターが関西事務局編集で発行される予定です。ただ、扱う範囲が広くなると、新たな編集上の困難が生じてくるのは避けられません。関西に編集部を置きつつ、全国の情報をどう把握し的確に誌面に反映するかは、これからの大きな課題です。●これまでは発行することに精一杯でしたが、今後は「読みやすさ」の要素も無視できないでしょう。内容的にも、一層の質の向上と豊富さが求められます。現在、全国理事会・総会に向けて構想をまとめているところですが、会員の皆さんのご意見もお待ちしています。これからもよろしくお願い申しあげます。(文責:瀬戸宏)
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編集・発行:日本現代中国学会関西部会事務局
〒562-8558  箕面市粟生間谷東、大阪外国語大学・西村成雄研究室
TEL.FAX 0727-30-5242 または072-848-3424
E-mail : tetsuyama@pop02.odn.ne.jp (総務・全般)
ir8h-st@asahi-net.or.jp   (編集)
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