第6報告(15:50〜16:40)
「黒竜江省の農村部における農業改革前の学校教育の普及」
川副延生(名古屋商科大学)
半農半読の方針により、黒竜江省の農村でも学校教育が拡充され、教育設備、教員数、入学生徒数および在校生徒数が増加しました。一方で都市の知識青年が農村や国営農場に下郷し、一部の知識青年は農業労働に従事するのではなく、医療衛生員、民弁教師、会計員などの特殊な知識が必要とされる職種につき、活躍しました。
 1968年以降に下郷した知識青年は、諸特徴から次の3つのグループに分ける事が可能です。第1のグループは68年、69年に省外の大都市から黒竜江省の辺境の国営農場に下郷した知識青年です。彼らは比較的長期間、下郷した国営農場に定住したと思われます。第2のグループは、哈尓濱、斉斉哈尓などの省内の大都市から国営農場に下郷した知識青年です。彼らの定住も比較的長期であったと思われます。第3のグループは各県の都市部から同じ県の農村に下郷した知識青年です。彼らの在郷期間は比較的短期間であったと思われます。
 知識青年が上記のような職種につくことができるのは、所属先での推薦・評価が必要であり、定住期間が長い知識青年のほうがより推薦されやすいと考えられます。そのため同じ下郷した知識青年でも、国営農場に下郷した知識青年のほうがより多く民弁教師の職を担ったののではないかと推測されます。黒竜江省のいくつかの県志と国営農場志の資料を根拠として示し、学会のときにこのような推測を報告します。