第6報告(15:50〜16:40)
「閻連科について」
谷川毅(名古屋経済大学)
 閻連科の『為人民服務』は、はじめ『花城』二〇〇五年第一期に掲載されたが、性描写が過激であることと、その内容が毛沢東を侮辱するものであるという理由から、中央宣伝部から発禁処分を受けた。この発禁処分については『文藝春秋』(二〇〇六年六月号)にも取り上げられ、詳細な事情が報告されている。閻連科はこれに続いて、河南省のエイズ村を取材して長篇『丁庄夢』(二〇〇六年一月 上海文芸出版社)を書き上げた。これは大陸でも無事出版されたが、中国政府にとって敏感な題材だけに、販売に制限を受けるなど、当局からの圧力がかかっているようである。
 閻連科は一九五八年河南省生まれ。中学のころ文学に目覚めたという。二十歳で解放軍に入隊、まもなくその文才を認められ、小説創作学習班に配属され、本格的に創作活動を始めることになった。発表した作品は魯迅文学賞をはじめ、数々の文学賞を受賞している。二〇〇四年には軍隊を離れ、独立した作家としての道を歩き始めた。作品の題材は、彼の出身地である河南平原の農村に生きる人々を描いたものと、軍隊経験をもとにしたものの大きく二つに分けられる。農村を舞台にした作品では、社会的にも自然環境的にも厳しい状況の中で生きている農民の姿を描いている。農民の無知さ、愚昧さを描いていても、自分自身が農村出身ということもあってか、そこには作者の温かい視線を感じることができるが、軍隊ものについては軍の負の側面をストレートに描いたものや、戯画化したものが多い。彼は『為人民服務』以前にも、『夏日落』(『黄河』一九九二年六期)という軍隊を題材にした作品でも発禁処分を受けた。
 今回はこの二度の発禁処分の経緯をたどりながら、彼が作品で表現しようとしているものは何かを探っていきたい。