第5報告(15:00〜15:50)
「「大世界」から「上海人民遊楽場」へ――遊楽場の社会主義的改造」
森平崇文(東京大学大学院生)
「大世界」は1917年に建設された上海を代表する遊楽場であり、現在までオールド上海の華やかさや猥雑さを象徴する存在としてのイメージが強く残されている。そのため大世界に関するこれまでの言及も民国時期に特に集中している。一方、上海商業界の伝奇的人物である黄楚九(1871〜1931)を創始者とし、黄楚九の死後大世界を引き継いだのが上海の顔役の一人黄金栄(1868〜1953)であることから、大世界をめぐる言説にはゴシップ的色彩が強く、大世界そのものが研究の対象として採り上げられることは少なかった。もちろん大世界に付着した腐臭に着目することは遊楽場に代表される娯楽施設や盛り場を分析するにおいて非常に有効な視点であると言えるのだが、大世界には大衆芸能の殿堂であった時期があり、その点で上海芸能史において重要な位置を占めている。本報告では大世界を大衆芸能の殿堂としての側面から採り上げ、遊楽場が大きく変容を迫られた中華人民共和国成立以後の1950年代を対象の時期とする。
 1954年7月に大世界は上海文化局に「接管」され、翌年5月には「上海人民遊楽場」と名称を変更した。この時点で上海には大世界の他に、先施と大新と福安の各遊楽場が営業していたが国営となったのは大世界のみであり、それ以外は皆50年代末までに閉鎖されている。上海人民遊楽場は58年よりまた「大世界」の名称を復活させるのであるが、本報告では、この「接管」前後から名称の変更と復活時期における大世界の社会主義的改造による変容を、それに関する档案資料や番組プログラム、及び同時期に行われた上海の各劇場や地方劇劇団に対する社会主義的改造との対比を通じて紹介し、大世界に代表される遊楽場に社会主義的改造が与えた影響について上海芸能史の文脈の中から考察してみたい。