共通論題―文化

中国知識人はグローバル化をどう見るか

 

砂山幸雄(愛知県立大学)

 

 中国では1990年代後半から「全球化」という言葉が、主として経済面での相互依存関係の深化という意味で、官制メディアにも頻繁に用いられるようになった。確かに市場経済化の展開が引き起こした中国大都市の急激な変貌は、「全球化」という言葉のある側面を視覚に訴えて最も雄弁に物語っているといえる。それは経済分野を越え、いずれ文化や社会の奥深い部分、そして政治の領域にまで影響を及ぼさずにはおかないだろう。

 では中国の知識人は、今日のグローバル化の進行を目の当たりにして、それをどのように理解し、受けとめようとしているのであろうか。1995年に甘陽は、知識人はフクヤマの「歴史の終わり」論を歓迎し、ハンティントンの「文明の衝突」論には同意しなかったと書いた。この観察が正しいならば、彼らの多くは、社会主義圏の崩壊とともに自由主義のグローバルな勝利を密かに歓呼して迎え、市場経済化の行き着く果てに「文明の衝突」ではなく共通の人類文明の実現を熱望していると考えてよいのだろうか。そして、1997年に汪暉が「当代中国の思想状況とモダニティの問題」を発表し自由主義派との間の論争の口火を切ったのは、そうしたグローバリズム礼賛論に対する社会主義的な立場からの批判を意図したものだったのだろうか。

 だが、問題はいささか複雑である。グローバル化にはいろいろな解釈がある。例えば、(1)経済統合ないし世界の一体化、(2)近代化ないし西洋化、(3)アメリカの覇権秩序ないし世界のアメリカ化、など。しかし、90年代の「文明の衝突」論や「中国脅威論」などをめぐる知識人の議論を読み返してみると、彼らがグローバル化のそれぞれの解釈を一面に捉えず、一体化には多様化を、近代化には土着化(本土化)を、覇権には多極化をそれぞれ対置しつつ、グローバル化を両面性を内包した複合的な過程として柔軟に捉えようとしているのがわかる。そうした捉え方の中に、中国独自の文化や発展方式を肯定するポストモダニズム的言説や「国民国家」建設の主張が同居してきた。

 ところが90年代後半、中国社会は経済成長とともに腐敗、国有資産の流失、所得格差の拡大、失業、環境汚染などの諸問題を深刻化させた。これに対し、その原因を市場経済化自体にではなく、それを支える制度や主体の側にあるとして、「公正」実現のために市場経済のルールに合わせた改革が必要であると主張したのが「自由主義者」であった。彼らにとって中国の経済グローバル化は「世界の主流文明への合流」を意味した。劉軍寧は「全球化とは政治的には民主化を意味する」とさえ断言した。一方、これを批判する新左派たちは、多国籍企業に支配されたグローバルな市場経済こそ不平等や不正を生み出す根源であると批判した。汪暉はさらに自由主義政治理論に隠された抜きがたい欧米中心主義を批判し、「反近代の近代」という歴史的刻印の中に中国独自の発展の道を模索すべきであると主張した。グローバル化の両義的な解釈が鋭く分裂したわけである。

 この分裂をグローバリズムとナショナリズムの対立と単純に理解することはできないだろう。なぜなら、概して、いずれの側でもナショナルな利益や価値の見地からグローバル化の得失が論じられる傾向があり、「グローバルな意識」や「個人としてのアイデンティティ」、あるいは「アジア」の問題はまだ周辺的な議論にとどまっているからである。そのこと自体がグローバル化の中国における一つの表れであるとは言えないだろうか。