文学・思想―4

施蟄存小説論―都市上海の孤独―

 

劉怡(東京都立大学大学院生)

 

 中国近代文学史研究上、施蟄存の小説における心理描写はよく重視されてきたが、心理的手法のしるしを読みとろうとする今までの施蟄存小説の研究は如何にも偏っているのではないかと感じられる。彼が小説の舞台として選んだ都市は上海である。施蟄存が描いた都市上海は一体どういうイメージで現れてくるのだろうか。彼が描いた人物の背後に見えてくる三十年代の上海は今まで重視されてきた彼の心理描写の手法とどのような関わりを持っているのだろうか。施蟄存は人間の心理を通して都市を描くことにより、どのような問題を提示しているのか。そのような問題意識から出発し、施蟄存の小説を検討した。

 本論の全体を通じて主軸をなすのは、施蟄存の小説に描かれた都会人の<孤独感>である。施蟄存の小説に描かれた<孤独>は二つの視点から理解できる。その第一は、人間が都市の中で感じる<孤独>である。具体的に言えば、都市内部の様々な変化あるいは事件により、人間は実に不安定な状態に巻き込まれ、外部空間に抑圧される。都会人はその不安定な状態から抜け出す力がなく、都市の中で不安を感じている。その不安感を訴える場所も相手もないまま、孤独を感じる。

 その第二は、人間が都市のよそよそしい人間関係の中で感ずる<孤独>である。都市の中で、人間は人間関係のわずらわしさから解放され、プライベートな生活が保護される一方、人と人との間に存在する暖かいつきあいが途絶え、人間の疎外された状態は一層目立つようになる。施施蟄存は、近代都市の「核家族」におけるコミュニティを失った夫婦を描くことを通して、夫婦生活に障碍をもたらす都会の冷酷な一面を強調している。彼が捉えた都市的結婚生活のイメージの背後には都市における疎遠な人間関係が隠されている。

 上記の二つの視点から、施蟄存は都市における<人間疎外>という問題を読者に提示し、都市のモダンな景物の裏側に潜む都会人の深く隠された喪失感、不安、無気力を描き出したと考えられる。施蟄存の作品に現れる都会人の「孤独感」は近代人の疎外感である。

 施蟄存は小説の中で都会人の孤独感あるいは都会における<人間疎外>を描いているが、これは都市への批判ではなく、人間の都市に対する矛盾した感情を語っているのである。施蟄存は華やかな街の風景を小説の表に出さず、都市に浮き沈みする平凡な人々のモノローグあるいは心の動きにより、三十年代の上海を浮き彫りにする。彼の小説に現われた上海は、既に固定された静的空間から、個人の体験により断片化され、主観的なイメージに移行する。施蟄存は、心理描写という手法を駆使し、「内的現実」を描くことを通して人間の生きる時代と空間を反映する可能性を模索したのである。

 上海は二、三十年代に繁栄の絶頂に至り、近代的な大都市になる。近代化・都市化された上海は施蟄存の文学の根源的な土壌であったと言えよう。上海の高度発展の都市文明、大衆消費文化およびモダンな都市文化は施蟄存の文学を生み出した。彼の小説の主人公達の目に映った三十年代の上海は、革命風潮、経済の恐慌に襲われる都市であり、モダンと封建性が共存する都市であり、多くの人間が同じ空間に住み「華洋雑居」でありながら、人と人との間にはコミュニケーションが少なく、もっとも大きい無関心が存在する都市である。黄金時代における繁栄する上海像と異なり、施蟄存の上海は孤独・不安・寂寞などの雰囲気の漂う都市である。