文学・思想―2

廃名小説における語りの二重性――「竹林的故事」を中心に

 

吾妻智子(大阪外国語大学大学院生)

 

 廃名(1901〜1967)は、中国現代文学初期に特異な文体の小説を書いたことで知られる作家である。文体の主な特徴は、物語性に乏しく緊密な構成をもたない、文と文の間に飛躍がある(説明的叙述の省略)、視点の自由な転換、文言や古典詩文からの引用が多い、等であるが、このほか重要な点として重層的な語りの構造をもつことが挙げられる。 廃名の小説に特徴的な語り手は物語世界の外に位置し、いわゆる「全知」的立場で物語行為を担いながら、ときおり「私」「作者」として物語内容について感想を述べ、読者に話しかけたりする存在である。このような特徴は長編小説『橋』、『莫須有先生伝』において章回小説の語り手の模倣という形で顕著になるが、「物語行為」が「物語世界」において顕在化し、両者が自由に転換し交錯するという重層的な語りの構造は、地の文から語り手の存在をなるべく消していく文体が主流である近代小説を読み慣れた読者にとって違和感や戸惑いを感じさせるものである。

 廃名の小説を当時の文学の流れの中において見た場合、その特異な語りの構造はどのように理解されるべきであろうか。五四時期以降、中国の小説は概念、言語、内容、形式、すべての面で大きな変化を見たが、叙述形式の面でも伝統小説とは異なる方法が盛んに用いられるようになった。視点について見ると、伝統小説では概して「全知」の語り手が「語りもの」的口調で叙述し、視点の固定化には注意が払われなかったのに対し、五四以降の小説では作品の「リアリティー」を高めるために視点の固定化が意識的に追求されるようになる。廃名独特の語りの構造を近代小説として未成熟なものであるとし、問題を技法上の巧拙(破綻、未熟)に帰すのは無意味である。むしろ、具体的作品に見られる「綻び」や「亀裂」の中に作者の表現意識が現われていると考えるべきであり、そこから表現する者としての作者の意識に近づくことが可能になると思われる。 初期短編小説「竹林的故事」(1925)は、廃名の小説の語りの問題を考える上で重要な示唆を与える作品である。語りに二つ視点が混在するという点において、廃名独特の語りが形成される契機となった作品と位置づけることができる。全体を構成する6つの段落のうち、第1段落では「私」という一人称の語り手が過去を回想する形で「私」の眼から見た主人公、三姑娘とその一家の様子が限定的な視点で語られるが、続く第2〜4段落では、語りの視点は「私」の眼にとらわれることなく、もう一つ高いレベルの位置に立つ、いわば「全知」的な視点に転換し、「私」の限定的視点では知り得ない三姑娘の生活や内的世界までもが描かれる。そして第5、6段落では再び「私」の視点に戻り、「私」にとってもっとも印象的な彼女の思い出が語られて物語が終わる。つまり語り手は、一人称限定→無人称全知→一人称限定というふうに転換する。

 ここでの語り手の転換は、対象の日常生活と内的世界(心象風景)を描こうとするところから生じている。「私」からは見ることのできない三姑娘の世界をも描こうとする意識が作者の中にあり、それを「私」という語り手から派生、分化したもう一人の語り手が担うのである。そこには「他者をどう描くか」という問題意識を見ることができ、以降、心象による内的世界の描写は廃名の重要な表現手法となる。

 「語る」という行為は、「語る行為」と「語られる内容」が同時に進行し、同じ時空に重なり合っているという点で、本質的に二重性をもっている。廃名は表現することにおける「語る」主体の存在とその視点の問題に意識的な作家であった。「竹林的故事」に見られる語りの構造は後の長編小説でより意図的で特徴的なものに発展していくことになる。