文学・思想―1

林語堂の文学観における「語録体」の位置づけ

 

朴 桂聖(一橋大学大学院生)

 

従来の林語堂研究は、主として(1)魯迅との関係を中心に据えた文壇的評価、(2)時代の主題との親和/違和を基準とするイデオロギー的評価、(3)東西文化融合論の代表的論客と捉える思想的評価、という三つの柱からなる枠組内で行われてきたといえよう。報告者は林語堂の文学観、より具体的には、林が三十年代に「小品文」を提唱するに至るまでの、白話文体論形成の過程にこそ、五四新文学史研究上、重要な意味を持つ問題との関連が存在すると予想するものであるが、この問題に関しても、従来は(2)を前提に、(3)の範囲で結論づけるものが大方で、今日系統的な検討が可能となった林のテクストに十分密着した形で、彼の文体論がどのように形成されてきたかを、歴史的に跡付ける整理、分析は殆どなかったといえる。

本報告の関心の中心は、大きくは現代中国文学史における「小品」散文の意義および林語堂が提唱した「語録体」が「小品」散文史において占める位置、という問題にあるが、時間の関係もあり、周作人の“美文”提唱や、王統照による“散文”の分類と紹介に始まる、近代文学の一ジャンルとしての「散文」概念の形成と定着、普及の過程全体を詳細に検討して、それとの対比において「語録体」の特徴を定位するアプローチは採らず、林の議論そのものの確認と分析を中心に据えることとする。具体的には、林の議論を、1910年代、1920年代、1930年代以降という、三つの段階を経て発展、形成されてきたものと捉え、それぞれについて、理論と実践の二方面に分けて確認、整理したい。

九十年代以降の大陸思想界では、五四新文化運動が伝統を全面否定し、豊かな文化遺産の継承を拒絶したラディカリズム(“激進主義”)であったとして、その偏向を批判する議論が起こったが、文学革命における白話文提唱は正にその象徴と見なされた。そのような批判において、白話文提唱は、音声言語としての言語に偏して、文学言語としてより重要な書写言語の歴史的連続性を無視したものとされる。しかし、このような議論の中で、林語堂の文体論が分析、検討の対象として採り上げられることはなかったといえよう。林は、当時の白話文には、「文」としての味わいが感じられず、欧化語法の影響が強すぎる、そこで、味わいを求めれば、自然と「文」としてのレトリックが求められる、円滑な「文」こそ感染力が強いとして、スタイルやレトリックという要素を、新文学の媒体としての白話文概念の中に導入しようと考えた一方、感情の媒体として「音声」は重要な要素だとも考えていたと思われる。更に林は、方言や俗語の文学言語としての役割をも重視している。これらの主張は、最近のラディカリズム批判の一環としての五四時期白話文提唱批判が、革新=白話=音声/伝統=文言=書写と、当時の文学言語、文化状況を二項対立的に単純化して捉えたのに対して、当時の文学者の問題意識が、実際にはより深い部分まで射程に収めていた事実を示しているのではないだろうか。

 これまで林語堂の小品文、エッセイについては、三十年代の《論語》《人間世》の創刊、“幽黙”の提唱のみが評価の対象とされ、その文体論に関しても、周作人からの影響の指摘で片付けられることが多かったのではないか。しかし、上述の議論のように、林が独自に発展させた見解が、今日の問題意識との共鳴の中で、新鮮な問題性を開示しているのは確かだと思われる。本報告では、先ずは林語堂の論点を整理することで、林の具える今日性という問題へ更に思考を進めるための準備作業としたい。