法律・政治―6

「迷信」の誕生――二十世紀中国における宗教の位置づけ

 

孫 江(静岡文化芸術大学)

 

 二十世紀の中国において、帝政末期の清朝を含め、中国国民党政権および中国共産党政権は、近代国家建設を押し進めていく際に、宗教を「迷信」と見なして、それを近代国家の構想から外し、抑圧・弾圧を繰り返した。なぜ宗教イコール「迷信」という言説が成立したか、「迷信」という言説はどのような近代的文脈のなかで作り上げられたか。本報告は、二十世紀中国における「迷信」創出の過程を考察することを通じて、現代中国思想における宗教の位置づけを検討することを目的とする。本報告は以下の三つの部分からなる。

 第一、「迷信」という語について。現代中国語のなかで、「迷信」は「宗教」と同様に日本から逆輸入された用語である。明治日本は、国家神道を国家イデオロギーに持ち上げたと同時に、日本社会の諸宗教(教派)、諸信仰をそれぞれ「宗教」、「類似宗教」および「迷信」(俗信)に分類し、それらに対して異なった政策を採った。中国において、「宗教」と「迷信」の境界線は必ずしもはっきりしていない。ほとんどの場合、宗教信仰は「迷信」という概念に包摂されている。

 第二、近代言説における「迷信」の創出。「迷信」の生産と再生産は、近代国家建設の構想の一環として、近代科学観念の普及や革命イデオロギーの下で行われていた。また、「迷信」の生産と再生産は、近代中国人の「伝統」に対する認識とも深く関わっている。清末期において、「廟産興学」のスローガンの下で、宗教団体の財産が剥奪され、国家の近代化政策(学校、地方自治)の資金源に当てられる。その背後には、宗教無用論の認識が横たわっていた。このような認識こそ「迷信」創出の第一歩であると考えられる。「五・四」期において、知識人たちは「科学」、「民主」を掲げて、「伝統」をその対立項として位置付け、猛烈な批判を加えた。科学至上ともいうべき思想の氾濫の結果、「迷信」の範疇がますます拡大した。反「迷信」思想は、中国国民党と共産党の革命実践のなかで大規模な「迷信打破」運動に発展していった。革命的近代主義者たちは、自らのヘゲモニーを確立するために、あらゆる宗教や民間信仰を「迷信」と見なし、それらを近代国家という空間から排除しようとした。

第三、現代中国における宗教の位置付け。「迷信」という言説から、すべての宗教が「迷信」に帰されるように見えるが、二十世紀中国において、宗教に対する国家の政策は一様ではない。原則的に、社会において広く認知された仏教、道教、キリスト教宗教の存在を認め、それらを国家の一部分として機能させ、それら以外の民間宗教結社を「邪教」と見做し弾圧を加えた。厳密な教義に欠け、組織性を有しない民間の信仰結社に対しては、信仰の内容を問わず、その具体的活動状況に応じて対処していた。

近代国家の成立過程において、宗教を近代国家と社会から完全に排除するのは、フランス革命、ロシア革命および中国革命に共通することである。現在の中国では、社会は劇的に変動し脱政治の方向に進んでいる。国家は従来のように社会を完全にコントロールすることができなくなった。こうしたなか、近未来中国における宗教の位置付けを考える際に、一世紀にわたった「迷信」言説を批判的に検討する必要があるだろう。