法律・政治―3

漢化少数民族の識別と自治―1950年代土家族の事例から―

 

上野稔弘(東北大学

 

1949年の中華人民共和国成立以降の民族問題を語る際、従来その関心は内蒙古・チベット・新疆などの辺疆地区に分布する諸民族に重点が置かれてきた。その一方、漢族地区に近接ないし交錯した地区には漢族への同化=漢化が相当程度進行した民族も多数存在する。こうした民族を、本報告では便宜上「漢化少数民族」と呼ぶことにする。チワン族、満族、回族、プイ族、および本報告で取り上げる土家族などがこれに該当しよう。民族平等や民族区域自治といった新たな民族政策では、漢化を当然視する従来の民族政策とは異なる方向性が示され、漢化少数民族にとっては希薄化した民族的アイデンティティの再認識・強化を促すことにもなった。その意味では漢化少数民族はその最大の受益者であるともいえる。しかし漢化少数民族に対する新たな政治的アプローチは、民族意識の再燃による漢族など周辺諸民族への波紋という、従来とはやや性質の異なる問題を引き起こすことにもなった。本報告では土家族を事例とし、当時の新聞や近年公刊された資料などを基に、漢化少数民族に対する民族政策の影響を分析し、中国の民族問題の一端を明らかにする。

まず土家族をめぐる問題においては@分布地域が湖南・湖北・四川・貴州四省交界の山岳地区にあること、A土家族の最も集中する湖南省湘西地区は苗族居住地区と重複し、先に苗族自治区(後に自治州)が設けられたこと、B土家族がかつて土司階層を形成していたことが背景として存在する。

1950年代の土家族をめぐる問題は、国家から単独民族としての認定を得るまでの民族識別段階と、湘西土家族苗族自治州の成立に至るまでの自治論争段階の二つに大きく分かれる。まず民族識別段階では、土家族は比較的早い時期から少数民族としての存在を中央へアピールし、学術的識別調査の裏付けもあって中央政府は認定に前向きであったにもかかわらず、地方政府側の抵抗により認定が大幅に遅れたことが問題となる。この中央と地方の一見奇妙な対立の背景と、土家族知識人や潘光旦ら中央の学者による土家族承認へ向けた動静を分析する。続く自治論争段階では、土家族に対する区域自治の実施方法をめぐって起きた、土家族単独の自治方式と苗族との連合自治方式の路線論争が問題となる。双方の主張の理論的背景と対立点、そして湖南省政府が打開策として行った湘西訪問団の派遣に伴う事態の急展開とその背景を分析する。

土家族問題の分析を通じて分かるのは、土家族に固有の条件もさることながら、自治方式をめぐる論争など他の民族にも共時的に見られた問題の存在である。そこから中国の政治状況、とりわけ54年憲法制定前後からの中国共産党による社会主義建設の本格化の影響を受け、早くも動揺をきたしていた民族政策の実態が見えてくる。さらに漢化少数民族のアイデンティティ再構築において、彼らの置かれた政治的・経済的・社会的状況や、民族の歴史的記憶の「再発見」が極めて有効に作用すること、そこでは知識人の行動が大きな意味を持つと同時に、民族意識の広がりと深まりに一種の脆弱さをもらたしていることが示される。また土家族問題自体が地方民族主義批判の嚆矢ともなり、さらには文革後の民族政策の再開における一大懸案となるなど、その後の民族政策に少なからぬ影響を及ぼしていること、そして問題の最終的解決が困難な現状も明らかにされよう。